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最高裁判所第一小法廷 昭和62年(あ)650号 決定

本籍

北九州市八幡西区大字藤田一八六三番地

住居

同藤田二丁目六番二五号

会社役員

渡邊千鶴子

昭和九年一月二二日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六二年四月一六日福岡高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人加藤石則、同山本茂、同平田勝雅の上告趣意は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であり、被告人本人の上告趣意は、量刑不当、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 大内恒夫 裁判官 角田禮次郎 裁判官 佐藤哲郎 裁判官 四ツ谷巖 裁判官 大堀誠一)

○上告趣意書

昭和六二年(あ)第六五〇号

被告人 渡邊千鶴子

右被告人に対する所得税法違反被告事件についての上告の趣旨は、左記のとおりである。

昭和六二年七月二七日

右主任弁護人 加藤石則

右弁護人 山本茂

右弁護人 平田勝雅

最高裁判所第一小法廷 御中

第一点 原審には、憲法三一条の定める適正手続に違背した違法がある。

弁護人らは、原審に提出した控訴趣意書において、一審判決の理由のくいちがい及び事実誤認並びに法令違背の点を主張しようとしたのであるが、原審裁判官の訴訟指揮により、これを撤回したものである。

すなわち、弁護人らは、その控訴趣意書で、一審判決は、理由中の(罪となるべき事実)において、第一事実の被告人の父渡邊健太郎の所得に関する日の丸商事分の逋脱については、両罰規定による被告人の行為者責任を認定し、その第二事実では、被告人の所得について所得税法二三八条の逋脱責任を認定したにも拘らず、(量刑の事情)においては、健太郎に所得が帰属する日の丸商事分と被告人に所得が帰属する藤田商事分を無差別に合算し、実質的には両者が被告人の所得であるとみなしているので、判決の理由に矛盾があり(控訴趣意書第一点)、また、(罪となるべき事実)第一の日の丸商事分の逋脱については、事業主であり納税義務者である健太郎は、従前からその弟渡邊俊雄や支配人の大森隆心によって売上除外の路線が敷かれ、それが被告人や大森によって引き継がれていることを知って容認していたのであるから、納税義務者である健太郎が同法二三八条違反の逋脱の主体であり、被告人はその共犯に間擬されるべきであるから、健太郎に同条違反の行為がないとして、被告人に同法第二四四条の両罰規定を適用したのは誤りであり、また両者は犯情を著しく異にする(同第二点中の記載)と主張したのであるが、公判期日前の打合せの際原審裁判官から、事実行為として右主張の撤回を勧告されたので、控訴趣意補充書によって、これらの主張を撤回したのである(同第一項)。

本件において、被告人及び弁護人の基本的な要望もしくは狙いが、被告人に科せられる懲役刑に執行猶予を付した判決の言渡しを求める量刑不当の点にあることは事案の性質上明白である。

このような事案において、量刑不当以外の主張の撤回を求められた当事者側としては、撤回を求められた主張については審理をするまでもなく、量刑不当の主張を認容されるものと理解するのが当然であり、それ故に弁護人らは、原審裁判官の意を受けて主張の一部を撤回すれば被告人の切望する執行猶予の判決が得られるものと誤解して、裁判官の訴訟指揮に従ったものである。

しかしながら、一審判決が、被告人の所得と健太郎の所得とを一体として無差別に合算して量刑資料としたこと及び事実を誤認して本条と両罰規定の適用を誤ったことは極めて重要な論点であり、結果として宣告された判決内容を予測していれば、右の主張を撤回することはなかったのである。

弁護人らの右主張の撤回は、すくなくとも結果的には、詐術によって、弁護人らの、刑事訴訟法三七八条四号、三八〇条及び三八二条の控訴理由の主張を封じられたのと同様であり、これは訴訟指揮権の濫用であり憲法三一条の定める適正手続きに違背した不正な手続きにより不当な判決を受けたものであるから、原判決には憲法に違反する瑕疵があり、右瑕疵は判決に影響することが明らかであるから原判決は破棄を免れない。よって原判決を破棄されたい。

第二点 原判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。

一 原判決は、被告人が昭和五一年八月ころから老人性痴呆症等で療養中の父渡邊健太郎に代ってパチンコ店の経営に関与するようになり、実妹渡邊千恵子と共謀して、昭和五六年度分から同五八年度分までの自己の経営する藤田商事関係のパチンコ店の事業所得と不動産の譲渡所得等に関する所得税合計三億五、二五九万六、八〇〇円のみならず、健太郎の経営する右三年間の日の丸商事関係のパチンコ店の事業所得に関する所得税五億九、一二七万九、〇〇〇円をも逋脱したと認定し、結局は、健太郎は意思無能力者となったので、被告人が同人に代って、日の丸・藤田両商事のパチンコ店の事業を統括し、藤田商事分はもとより、日の丸商事分の右所得税の逋脱行為をも差配したものと認定したことは、原判文上明らかである。

二 しかしながら、健太郎が昭和五一年八月ころから老人性痴呆症に罹患したとの証拠は全く存しない。同人は老人性痴呆症に罹患したことはないのである。

もっとも、昭和六〇年九月四日付医師冬野喜郎作成の渡邊健太郎についての診断書中には、あたかも、当時入院加療中の健太郎の病名中に老人性痴呆症が含まれている旨の記載部分があるが、そもそも、老人性痴呆症は現代医学では治療不可能な進行性、非可逆性の疾患であることは顕著な事実であるところ、原審第一回公判調書中の証人渡邊健太郎に対する証人尋問調書の記載に徴しても、健太郎は右証人尋問施行時である昭和六二年二月五日当時、原審が老人性痴呆症に罹患したと認定した時期から一〇年余を経ているにも拘らず、その記憶力と判断能力にさして欠くるところはなく、老人性痴呆症に罹患しているものとは到底認められないから、右診断書中の健太郎が老人性痴呆症に罹患していたとの記載部分は当時極度に衰弱していた同人の一時的な健忘症を内科医が誤診したものであって(原審の被告人供述調書四二項)、事実に反することが明らかであり、全く信用できない。

また、被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書及び検察官に対する供述調書中には、健太郎が昭和五一年八月ころ老人ボケしたので、被告人が同人に代って事業を取り仕切った旨の供述記載があるが、(被告人の大蔵事務官に対する昭和五九年一〇月二五日付質問てん末書、一九七丁の八一四、昭和六〇年三月二六日、七日付同、一九七丁の八九三、同年九月六日付検察官に対する供述調書、一九七丁の一〇四七~八)、これは健太郎がその頃うつ状態に陥り、大森の言葉によれば「おこりっぽくなったり、不眠を訴えたりするようになりました。やや神経衰弱的な病状だと思われました」(大森隆心の検察官に対する供述調書一九七丁の四九〇)ので被告人の健太郎の身を案じて、大森に対し仕事のことを直接健太郎に言わないようにしてくれと依頼したことがあったが、被告人はこのことで健太郎をかばおうと思い、大蔵事務官等に対して、健太郎が老人ボケしたので、被告人が自ら経営するようになった旨述べたものであり、健太郎がそのころ老人ボケした事実もないのである。

そして老人ボケという言葉は、老人の記憶力が年齢相応に減退していることまでも含むものであって、老人ボケ即老人性痴呆症というのには当たらないことは勿論であるばかりでなく、被告人はうつ状態ないしはうつ病であったことをそのまま説明して、もし健太郎に知られると査察当時再び健康を害していた同人の状態を悪化させることを懸念して老人ボケと説明したものであるから、右質問てん末書中の被告人の父健太郎が老人ボケをした旨の供述記載によって同人が老人性痴呆症に罹患したと認定することも不当である。

このように、健太郎は昭和五一年八月ころから一時健康状態が悪化し、老人性のうつ状態に陥ったことはあったが、昭和五四年ころからはかなり回復し、同年には八幡西青色申告会長に就任するなどの対外的活動をもしているのである。そして、同人の検察官に対する供述調書によっても、同人が昭和六〇年九月四日ころにおいて検察官に対し自己の立場を整然と弁明する能力を有していたことが認められ、また、前述の如く、昭和六二年二月五日には原審公判廷において、自己をかばって一審で懲役刑の実刑判決の言渡を受けた被告人のために切々と真情を吐露する証言をしているのであるから、このような同人が一〇年以上も以前から老人性痴呆症に罹患していたとの原審の認定は余りにも非常識に過ぎるというのほかはない。

三 そして、被告人において、昭和五一年八月ころから健太郎に代って日の丸・藤田両商事関係のパチンコ店の事業を統括したことはなく、かつ、すくなくとも日の丸商事分の右所得税の逋脱行為を差配したことはないのである。

四 そもそも、日の丸・藤田両商事関係のパチンコ店における売上一部除外による所得税逋脱の路線は、いずれも早くから健太郎とその弟の渡邊俊雄によって敷かれたものであるところ、昭和五一年からは、健太郎の容認のもとに、日の丸商事の総支配人大森隆心によって従来からの「ドンブリ勘定」的な売上一部除外方法から一定率の除外方法に改められて、昭和五九年九月の福岡国税局の査察時まで行われていたのである。

五 しかも、健太郎は、本件所得税逋脱のころはもとより、現在においても、日の丸・藤田両商事の総帥として、右両商事関係のパチンコ店の日常の業務の遂行は大森に委ねているとはいえ、同人を監督して、用地の買収や店舗の増築、機械の増台等の重要事項については自らこれを裁断しており、被告人は、昭和五一年ころ、健太郎が健康を害し、老人性うつ状態になった際、藤田商事の名目的経営者であり、かつ、健太郎の長女としての立場上、やむなく一時大森の進言や相談に応じ、千恵子や俊雄及び叔母渡邊トミコらと相談しながら、大森の経営方針を容認していたことはあったが、昭和五四年ころ健太郎の健康状態が回復してからは、大森が直接健太郎に相談しにくいようなことについてのみ、大森の相談に応じてこれを健太郎に取り次ぐなど、いわば健太郎の補佐的役割をしていたに過ぎない(大森隆心の昭和六〇年八月二八日付検察官に対する供述調書一九七丁の四九二~三、原審における被告人の供述調書二三項以下)。

そして、被告人が日の丸商事分の売上除外に関与したのは、昭和五六年度からは、除外額の計算を千恵子がすることに変更したこと及び昭和五八年一〇月分から同年一二月分までの除外率を一〇パーセントから五パーセントに減少したことのみであって、しかも、これらはすべて健太郎においても了知していたところであるから、すくなくとも日の丸商事分の逋脱の主体は納税義務者であるとともに逋脱の基本路線を敷き、これを継続させ、自己の家族をして逋脱によって得た裏金を管理させて利益を享受し、全体を統括していた健太郎であり、被告人においてその所得税の確定申告手続についても格別積極的に関与した事実はない。

六 しからば、健太郎が老人性痴呆症に罹患したとの点は論外としても、その他の点についても、原審が何故にかかる重大な事実の誤認を犯すに至ったかについては、次のような経緯がある。

(一) 昭和五九年九月福岡国税局が本件査察に着手したが、そのころ健太郎は健康を害して病臥中であり、被告人は老いた父をかばい、更に妹千恵子や支配人である大森隆心をかばって、大蔵事務官に対してパチンコ店開業以来、叔父渡邊俊雄及び大森が売上除外を行ってきたが、昭和五一年八月以降は健太郎が老人ボケしたので、健太郎に代って被告人が日の丸商事の経営を取り仕切るようになり、被告人が売上除外を妹千恵子に指示して行い、被告人が裏金を管理していた旨供述し、千恵子や大森ら従業員もこのような被告人の意向に従い、被告人が渡邊家のナンバーワンであり、全てが被告人の指示で行われてきた旨述べ、また、健太郎も、事業を被告人らに委せており、逋脱の事実は知らないと述べた。

(二) そこで国税局は日の丸商事分については、健太郎が所得の帰属する納税義務者ではあるが、同人に逋脱行為は認められないものとして、両罰規定を適用して監督責任を問うのみにとどめ、被告人と妹千恵子を所得税法二四四条違反の行為者として検察庁に告発した(告発書参照)。

(三) 検察官の取調べに対しても、被告人らは右と同様の供述をなし、入院中の健太郎も逋脱の事実は知らないと述べたので、検察官は国税局の前記告発の方針を是としたが、健太郎の監督責任については年齢及び健康状態等からして訴追は相当でないと判断して起訴せず、被告人と千恵子に対して日の丸商事分について両罰規定による行為者責任を訴追した。

ただし、健太郎の監督責任について、所得税法二四四条の定める罰金刑を科す代りに、被告人に対してその責任を転嫁し、藤田商事分の所得税逋脱額約三億五、〇〇〇万円を基準にしては、到底想定できない額である罰金二億円を求刑したものである。

(四) 第一審では、弁護人ら及び被告人において、公訴事実を認めて争わず、健太郎の逋脱責任については言及しなかったので、起訴状通りの事実認定がなされた。

原審では、本件逋脱の最高責任者は健太郎であり、被告人は健太郎に対して従たる立場で逋脱に関与したに過ぎない旨初めて真実を主張、立証したのであるが、全く意外にも、原判決は、被告人が「昭和五一年八月ころから老人性痴呆症等で療養中の健太郎に代ってパチンコ店の経営に関与するようになった」と認定し、健太郎は逋脱に関与しておらず、したがって、健太郎の所得に関する逋脱は健太郎の意思にかかわりなく、被告人と千恵子によって行われたとして、一審判決を維持した。

(五) 日の丸商事分の経営及び売上除外について、捜査段階において被告人らが老齢の健太郎をかばって、昭和五一年六月に健太郎がメキシコ旅行から帰ってから健康を害し、老人ボケしたので被告人が健太郎に代って一切を取り仕切ったと供述したことと、昭和六〇年九月四日付の医師冬野喜郎作成の診断書に健太郎が老人性痴呆症に罹患している旨の記載があること、被告人及び弁護人らにおいて、一審段階において、昭和五一年以降起訴対象年度に至るまで健太郎が日の丸商事のみならず藤田商事の経営を統括差配していたことを主張しなかったことなどからすると、一審判決が健太郎に所得税法二三八条違反が成立しないものと認定し、被告人らに両罰規定を適用したのは止むを得ない側面があることを弁護人らとしても認めざるをえない。

しかしながら、健太郎の検察官調書の記載内容を見れば明らかなごとく、一審に顕出された資料によっても、検察官の捜査中に健康を害して入院中の健太郎が自己を立場を整然と弁明する能力を有していたことは明らかであり、その時点で右能力を有する事業主が長期間にわたって行われた多額の所得税逋脱の事実を知らなかったというのは通常ありえないことであり、常識に反する。

その点で、本件の告発及び起訴の構成には、基本的に無理があり、事案の実体に即していないのである。

健太郎について所得税法二三八条違反が成立しないものとして、両罰規定により監督責任を問うに止どめ、被告人と千恵子に対し同規定による行為者責任を問うことにした国税局の告発及び検察官の追訴は、捜査担当者において、健太郎が逋脱に関与していないというのは偽りであり、事案の実相に反することを半ば認識しながらも、捜査段階において、健太郎が風邪をこじらせたり、神経性の慢性下痢のため極度に衰弱していただけに、健太郎が高齢であり、老衰が甚だしいものと判断し、もし真相を穿つ努力をするならば、かえって事件処理が困難になることを懸念して、被告人が健太郎をかばい同人に代って一切を取り仕切ったとする偽りの主張に便乗し、実務の処理に都合の良い妥協的な結論として、両罰規定の適用を思い立ち、本件の告発と訴追がなされたものと思料されるのである。

(六) 弁護人らが、一審段階において、右のような事実、すなわち原審で縷々主張、立証したように、昭和五一年以降も日の丸商事は健太郎を頂点とするファミリーによって運営され、被告人は長女として、病弱でありながら、若干の補佐的役割を果たしたに過ぎないことを主張しなかった理由は次のとおりである。

まず、被告人は捜査段階において、自らの責任において、事を処理しようと決意し、健太郎をかばい、逋脱は健太郎の意思にかかわりなく被告人の意思決定により、その指揮の下に行われたと主張した結果、健太郎が起訴を免れたものの、一審段階で真実を明らかにすれば、改めて健太郎が起訴されるものと考え弁護人らに対しても真相を明らかにせず、健太郎は逋脱の事実を知悉しているとは説明したが、弁護人らからの健太郎を証人として申請すべきではないかとの申出に対してもこれに消極的な態度を示し、自己において俊雄やそれを引き継いだ大森によって敷かれた脱税路線が継続されることを容認したに過ぎない旨強調した。

また、健太郎も当時は昭和五九年から再び健康状態が悪化して病臥中であり、極度に衰弱していて弁護人らも同人との面談が十分にできなかった上、健太郎も弁護人らに対しては、被告人に言いふくめられていて真実を話さなかったのである。

更に本件では、創業主が事業の一切を取り仕切る一般の事業と異なり、健太郎はパチンコ点の営業に関して基本線を定めてからは、日常の運営は支配人に委せ、詳細については口出しせず、また経理については俊雄及び被告人の叔母渡邊トミコらが担当するいうファミリーが一体となっての経営である上、健太郎は税の逋脱については、当初は俊雄と協議して売上除外の路線を決定したものの、申告時における申告額もしくは除外率については直接積極的に口出しせず、担当者にまかせるが、裏金は自分で不動産投資に使用するという態度に終始していたため、弁護人らとしても、実績の把握が困難で、逋脱が健太郎の意思によらないということは常識上ありえず、両罰規定を適用した本件訴追には疑問があるとは感じながらも、それが被告人の希望するところでもあるので、敢えてその点を問題提起しなかったものである。

(七) 一審における被告人に対する実刑判決を踏まえ、弁護人らにおいて調査した結果は、控訴趣意書の記載、原審における健太郎の証言及び被告人の供述のとおりであり、健太郎はなお健在であって、日の丸・藤田両商事を統括しており、逋脱の最高責任者は健太郎であることが判明した。

(1) まず、弁護人らにおいても渡邊ファミリーの実体についての認識が時期を失し、その立証が十分でなかったことが悔やまれるところである。渡邊ファミリーは健太郎を頂点とする渡邊家近親者の一団であり、これを具体的にいえば、健太郎と妻のトシ子、長女の被告人、二女の千恵子、その夫雅文、健太郎の弟俊雄(昭和六一年六月一九日死亡)、妹マサノ、同トミコで構成されていた。そして、その態様はある意味で前近代的大家族制度のそれに近く、相互の愛情と信頼にもとづく協力関係が極めて強固である。このことは、例えば、俊雄の二度にわたる北九州市議会議員選挙に必要な膨大な選挙資金はすべて渡邊家から支出されていること(原審の被告人供述調書二一項)及びマサノの門司のパチンコ店の収益は何ら預り証等の交付も受けることなしに、同女の手で数百万円単位でしばしば健太郎方に運ばれ、先祖に返すつもりで千恵子に預けられていたこと(渡邊マサノの被告人供述調書四八項及び八五項以下)からもよく窺えるところである。

特に、渡邊ファミリーの構成員のうちでも、俊雄は、日の丸商事の創設以来、健太郎の形影の如く寄りそって、旧八幡製鉄勤務の経理マンであっただけに、特に経理及び税務の面で健太郎の事業経営を援け、マサノ、トミコはともに独身で、トミコは健太郎と同居し、昭和五三年に健康状態が悪化するまで、俊雄とともに日の丸・藤田商事の経理会計事務を担当し、資金を保管していたものであり、現在においても金庫の鍵と印鑑を保管しており、確定申告の際、大森はトミコから印鑑を受け取って申告書に捺印していたのである(原審における被告人供述調書一四項ないし一六項)。また、マサノは独立してパチンコ店を経営しているものの、勝気で進取の気性に富んでおり、コンピューターや新型機械の導入等はまず、門司のマサノの店で行い、その結果を見て、日の丸・藤田両商事のパチンコ店に取り入れているのが実情である。したがって、俊雄、マサノ、トミコはいずれも健太郎と一体となって今日の渡邊ファミリーの隆盛を築きあげてきたとの自負心があるので、ファミリーの中でも事業関係の発言権は強く、就中、俊雄、トミコの日の丸・藤田両商事の経営についての発言権は強大、かつ、細部にわたるものであって、健太郎の健康状態の悪化に伴い、その発言権はさらに強化されたのであって、如何に健太郎の長女とはいえ、幼少のころから病弱で、パチンコ店の経営に実際に余り関係したこともなく、いままでファミリーの庇護のもとに生活してきた被告人が、経験豊かで旧来の功労者であるこの叔父、叔母達の意見を無視することは許されず、常にこれを尊重せざるを得なかったのである(右被告人供述調書一七項以下)。

すなわち、日の丸・藤田両商事の業務に限らず、ファミリーの重大事項については、ファミリーの構成員の合議制によるのを建前とされていたのであって、この実情は、弁護人らも原審における審理の過程で、健太郎が老齢であり、被告人の健康状態が思わしくないため、数回にわたって被告人宅に出向いた結果、ようやく認識するに至ったもので、一審段階から十分に立証することができなかったが、本件事案糾明のためには是非ともその理解が必要なことと思われる。

(2) 健太郎は昭和五一年六月にメキシコ旅行から帰国後、老人性のうつ状態となり、事業については従前よりも口うるさく執拗な態度に出るようになったので、被告人が健太郎の健康等を配慮して健太郎の精神的負担を軽減するため支配人である大森に対し、仕事のことはなるべく被告人に伝え、健太郎には直接言わないようにして欲しいと依頼したのであるが健太郎に代って事業を取り仕切るようになったのではない。

そして、被告人は大森からの報告、相談を長女としての立場から、渡邊家の窓口として聞き、これを俊雄、トミコ、千恵子らファミリーに計り、特にパチンコ店の経営に永年携わり、年長で発言権の強い俊雄やトミコの意見を大森に伝えたり、重要な事項は健太郎の機嫌の良い時に伝えたりしていたものである。

更に、昭和五四年以降は、健太郎の健康もほぼ回復し、店舗改築等の重要事項は自ら差配し、一方では青色申告会の会長に就任して会合に出席し挨拶等も行っていたものである(大森隆心の検察官に対する供述調書中一九七丁の四九四など)。

この事業だけからしても、健太郎が五一年から老人性痴呆症に罹っていたとする原審判決の誤りは明白である。

(3) 一方、日の丸商事分の健太郎の所得税逋脱については、被告人が健太郎を補佐するようになる昭和五一年以前から俊雄の指示によって大森の手で売上除外が行われ、大森が俊雄から引き継いだ昭和五一年以降も売上除外は被告人の意思には拘りなしに行われていたものである。

被告人が日の丸商事分の売上除外に関与したのは、昭和五六年度からは除外額の計算を千恵子が行うことに変更したこと、及び同五八年一〇月から一二月までの除外率を一〇パーセントから五パーセントに減少したことに限られるのである。

しかしながら、前者は売上の一〇パーセントを除外するという基本路線は従前から決定されていて、その除外額の計算を誰が担当するかの問題であり、後者は除外率の変更であるが、大森支配人が病気で休暇中に他の従業員が無計画に経費を支出したため、公表の現金残高が赤字になったことの事後措置に関するもので、大森の進言どおりに除外率を下げ、裏金を減らして公表に廻す外には方法がなく選択の余地のない事項であったものである。

しかも、被告人はこれらの事項について健太郎を含む家族に計って、了解をとり、それを大森に伝えたに過ぎない。

(4) 健太郎については、日の丸商事分の自己の所得税逋脱について、特に起訴対象年度において、売上除外率の変更、除外担当者の変更等に関して、直接積極的に格別の発言、行動をした事実はなく、前記の事実についても受動的に承認したに過ぎない。

しかし、事案を全体から見ると、俊雄が売上除外を担当していた時期を含めて考察すれば逋脱の基本路線は健太郎と俊雄とで敷き、それが大森に引きつがれてほぼ同率の除外が行われるという全体構造を健太郎が作り、除外された裏金で不動産投資を行い、また千恵子らに割引債券を買わせ、管理させていた統括者が健太郎であるので、すくなくとも日の丸商事分の逋脱の主体は、納税義務者であるとともに、逋脱の基本路線を敷き、これを継続させ、自己の家族をしてこれを管理させ、全体を統括していた健太郎であり、同人について所得税法二三八条違反が成立することは明白である。

以上によってこれをみれば、原審の事実誤認は、まず国税局の告発及び検査官の起訴に問題があったこと、被告人らの供述が変遷していること、一審で被告人も弁護人らも公訴事実を争わず、しかも、被告人らの健太郎をかばうためになした虚偽の内容の供述が記載された捜査段階における供述調書をすべて証拠とされることに同意するという安易な訴訟進行をしたことから、原審が被告人らの供述の変遷には老齢の父健太郎を起訴から免れしめるためという理由があること並びに起訴対象年度ころにおける健太郎の日の丸商事等の業務に対する実際の関与度や被告人の健康状態及び渡邊ファミリーの実情等に十分に思いを致すことなくして、被告人らの第一・二審における供述はいずれも事後において案出された単なるいいわけに過ぎないと断定し、それ以上の真相糾明を敢えてせずして最も実体とかけ離れた内容が記載されている被告人らの捜査段階における質問てん末書及び供述調書に依拠した結果にほかならない。

七 しかして、所得税法二四四条は、納税義務者や実質的利益帰属者について、同法二三八条ないし二四二条違反の犯罪が成立しない場合に、行為者たる従業者が納税義務者や実質的利益帰属者の意思にかかわりなく、前記各法条所定の逋脱行為をした場合に同従業者に適用されるものと解すべきところ、前述の如く、本件公訴事実第一の(一)ないし(三)の各所得税逋脱の事実について納税義務者であり実質的利益帰属者である健太郎に同法二三八条違反の犯罪が成立することは疑う余地のないところであるから、健太郎の意を受けてその補佐的役割をしたに過ぎない被告人の右各逋脱の事実に関与した行為が同法二四四条一項の「違反行為をした」との構成要件に該当するものとは考えられない。

八 してみれば、本件公訴事実第一の(一)ないし(三)の各事実につき、被告人に所得税法二四四条違反の罪責を認めた一審判決をそのまま是認した原判決は、右公訴事実の重要部分について重大な事実の誤認をしたものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められるから、到底破棄を免れない。

よって、すみやかに原判決を破棄されたい。

第三点 原判決には、判決は影響を及ぼすべき重大な法令の違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。

1. 所得税法二三八条(以下本条という)の罪は納税義務の不履行を内容とするものであるから、当該納税義務者が脱税犯の行為主体となるべきものであり、納税義務者であることは、本条違反の成立要件で本条は身分犯と解すべきものである。そして身分なきもの、すなわち納税義務者でない従業者などが逋脱に関与したときは刑法六五条により共犯として処罰されるべきものである(最判昭三七・六・二九、福岡高判三四・三・三一)。

一方、納税義務者については本条違反が成立せず、したがって逋脱の行為者たる従業者と納税義務者とが共犯関係にない場合には、同法二四四条の両罰規定が適用され、納税義務者は監督責任を問われて罰金刑に処せられ、また同条によって行為者たる従業者も処罰されるものと解される。

2. 本件公訴事実第一の健太郎の所得税逋脱については、上述のようにその逋脱の主体は健太郎であり、同人について所得税法二三八条違反の罪が成立することは明らかである。

3. したがって、右事実について、健太郎に対しては本条違反の逋脱が成立しないものとし、被告人に同法二四四条の両罰規定を適用し、行為者責任を追及した原判決には明らかに法令の違反があり、被告人については、本条に違反する逋脱行為をなした健太郎の共犯者であり、同人に対して従たる立場で同人の犯行に関与したのに過ぎないのであるから、その限度で責任が問われるべきものである。

本条と同法二四四条の法廷刑は同一であるが、その犯情は全く異なるのであり、同法二四四条違反の行為者は、事業主の意思にかかわりなく、自らの意思によって逋脱を行うものであり、本条違反の共犯者たる従業者は事業主の意思に従い、実質的には所得者であり納税義務者の逋脱を手伝うのに過ぎないのであるから、後述するように本条違反では事業主以外の者は原則として起訴価値がないとされているのである。

4. また、本条違反の逋脱犯の構成要件該当行為は偽りその他不正の申告行為であり、日々の売上の一部除外等の行為はその準備行為であると解すべきところ、被告人は日の丸商事分の申告行為に関与した事実がなく、準備行為の一部に、しかも逋脱の主体である健太郎に対して、従たる立場で関与したに過ぎないのである。

そして、所得者もしくは納税義務者を本条の処罰対象とした本条の基本構造からすると、被告人は主犯である健太郎に対して付随的な役割を果したに過ぎないのであるから、健太郎に対して共同正犯というよりも従犯とみるべきであると思料する。

そうすると従犯の刑は正犯に比して軽減されるべきものであるから、右法令の違反は判決に重大な影響を与えることが明白である。

5. また、従業者が納税義務者の共犯として本条違反に問われる場合と、同法二四四条の行為者責任を問われる場合とでは、上記のような重大な差異が認められる上、本件では後者の責任を誤って認定された日の丸商事の逋脱額が五億九、一二七万九、〇〇〇円と極めて高額で、被告人自身の藤田商事分の逋脱額の二倍に近いことにかんがみると、原審の右法令違反は全事実に対する量刑上重大な影響をもたらすことが明白である。

以上のとおり、原判決には判決に影響を及ぼすべき違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。よって原判決を破棄されたい。

第四点 原判決の量刑は甚だしく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。

一 本件は、被告人が、昭和五六年から同五八年までにおける自己の所得税合計約三億五、二五九万円の逋脱責任及び父健太郎の所得税合計約五億九、一二七万円の逋脱行為責任を問われた事案であって、逋脱額は高額であるが、被告人は少女期から病弱であった上に、昭和四四年に不治の難病であるネフローゼ症候群に罹患し、その再発をおそれながら療養を続けている身であって、被告人が名目上の経営者である藤田商事についてもその経営は渡邊ファミリーの合議によって行われ、その所得も実質的にはファミリーに帰属するものであって、被告人が経営の実質に関与すること極めて希薄であり、したがってまた、税の逋脱についても被告人の病気が重篤で経営に関与していない間に叔父俊雄らによって敷かれた路線が継続されることを容認したに過ぎないし、日の丸商事分の逋脱についても、被告人は捜査段階では、自ら決定し、妹千恵子をして売上の一部除外をなさしめた旨供述しているものの、その実体は健太郎の補佐的な役割をしたに過ぎず逋脱の実質に関する決定をなした事実がないのである。日の丸商事及び藤田商事のパチンコ店は健太郎を頂点とする渡邊ファミリーによって経営され、健太郎は勿論総帥として統括していたものであるが、叔父俊雄が申告額すなわち逋脱額を決定し、売上金は叔母トミコが保管し、日常の業務は支配人の大森が行うという形態で永年運営され、健太郎らの老齢化に伴い被告人や妹千恵子が若干それを手伝うようになったもので、ファミリーの中における被告人の地位と発言力はかなり低いものである。

また、日の丸・藤田両商事の逋脱率がいずれもこの種の事案の中では極めて低いことも本件の量刑上十分配慮されるべきである。

原審はこれら本件の特殊性を見誤り、被告人の罪責を実刑に相当するものと認定したものである。

二 被告人が、藤田商事のみならず日の丸商事をも健太郎に代って統括し、自ら決定して税を逋脱したと供述したのは、日頃は病身でファミリーの庇護の下に生活していた被告人が、老齢の父健太郎及び叔父、叔母らをかばい、一身でファミリーの重大な難局を処理しようと決意したことによるもので、自分が父が老いた後の渡邊家のナンバーワンであり、すべて自分の責任で処理した旨捜査担当者に述べたのである。

このような被告人の態度の背景には、被告人が永い間事業人として活動し、かつ青色申告会の会長まで勤めている父の名誉を全うさせてやりたいという願望があったとともに、租税逋脱事犯では本件のように逋脱額が高額であっても(但し、病身で社会的生活に乏しい被告人には、他と比較して、本件が特に高額であるとの認識が十分でなかった)、その制裁は、懲役刑の実刑に処せられる程に厳しいものであるという認識に欠けていたし、査察の担当官も、それが果して善意であったか、取調べを容易にするため被告人を安心させようとしての作為があったかは別として、被告人に対し、罰金を高額支払うことによって、事件が処理されると教示したことなどもあって、健太郎らをかばって罪を一身に担っても実刑に処せられることはないとの安心感があったのである。

このことは、租税の逋脱に対する違法性の認識が甘いというそしりを受けるかも知れないが、昭和五九年ないし同六〇年ころの一般人の意識としては、逋脱犯について実刑まで科せられることはないというのが通常であって、世間を知らない被告人が健太郎をかばいたいという孝心の余り判断を誤ったことが真実に反する供述をした原因であることを御理解願いたい。

三1. 被告人に所得が帰属する藤田商事分については、被告人の事業に対する関与の仕方が特殊であり、直接事業を統括し税の逋脱についても、自ら決定して従業者に売上除外等の逋脱行為なさしめる一般の事業主の場合と異なり、被告人は事業主としては極めて名目的な存在であり、病気療養中に俊雄や大森らによって敷かれた脱税路線が継続されることを容認したに過ぎないものである。

2. もともと藤田商事は、病弱のため結婚と家業の日の丸商事を継ぐことをあきらめた被告人が、健太郎の支援を受け、経理は俊雄とトミコが担当し、日常業務は大森らが行うという体制で開業したところ、被告人はその後間もなく昭和四四年八月にはネフローゼ症候群に罹患し、三年余も入院した上、退院後は自宅療養を続けることになったので、健康の上からも事業に十分な関与が困難となったところ、健太郎、俊雄、トミコらは従前から一体となって日の丸商事を経営しており、同人らにおいて藤田商事も併せて運営し続けるのに何の支障もなかったところから、ネフローゼ寛解後も被告人は全く名目的な事業主となり、健太郎を頂点とするファミリーが基本方針を決め、大森が業務運営を行っていたのであるから、藤田商事の被告人名義の収入についても、一応他と区分はされているものの、実質的にはファミリーの所得であって、健太郎は藤田商事も含めて自分が経営者であると考えており、トミコは両商事の所得に自分の持分があると考えているのであるから、被告人が個人の意思で重要な決定をすることはできないというのが実情であったのである。

このように、被告人名義の所得についても、その実質はファミリーに帰属するもので、被告人に自由な処分権があるわけではなく、名目的な所得者であることを量刑上考慮されるべきである。

3. したがって、所得税の逋脱についても、俊雄や大森によって、早くから被告人とはかかわりなしに行われており、被告人はこれを容認はしていたものの、被告人がやや積極的に関与したのは、昭和五六年分からの除外額の計算担当者を妹千恵子に変更したこと、同年度から除外額を一〇パーセントに変更したこと、その後除外率を低減したことなどである。

右の事項のうち、除外額の計算担当者の変更について、原判決は、「被告人は昭和五六年度からは自己と千恵子とで売上除外を行うことを決意してその旨千恵子に指示した」として、いかにも被告人が主導的立場で逋脱したかのように判示しているが、一定率の売上除外をすることは従前から決定されていたことであり、コンピューターを導入して売上金の集計が簡単になったので、かねてから使用人に不正行為をさせていては申しわけないという気持を抱いていた被告人がファミリーと相談のうえ、計算担当者を千恵子に移すことにしたに過ぎず、売上除外を行うか否かの基本路線に関することではないのであるから、この点をもって被告人に積極的作為があると認定した原判決は当を得ないもので考えられる。

また除外率の変更については、藤田商事分と日の丸商事分との均衡及び同業の他店との均衡のためには避け難いとの大森の進言を受けて、ファミリーと協議した上、これをやむを得ないものとして容認したものである。

なお、昭和五三年から、売上除外をした裏金で割引債券を購入するようになったのは、家族の合議で決めたものであり、実質的決定をしたのは俊雄である(渡邊千恵子の被告人供述調書一九八丁の一二六以下)。

4. また、原判決は、毎日の売上の一部を除外した残額を従業者に通知して記帳される方法で、脱税のための売上除外を日常継続して実行し、これを遠隔地で無記名の割引債権等に替えて備蓄したものであって、しかも右売上集計表が焼却処分されるため脱税の摘発が困難となる狡猾なものであると判示しているが、このような方法は税を逋脱しようとする場合には通常行われているところであると思われ、特に本件において特殊で巧妙な方法をとったわけではなく、特別に悪質性を強調される程のものではないと思料される。

5. 更に、山林の譲渡所得分の逋脱についても、「被告人の取得した山林の一部を他人名義にし、これの譲渡益についても他人名義で申告するという巧妙なものである」と判示しているが、もともと、右山林は昭和四九年ころ、健太郎が被告人のために買うことにした際、簿外の裏金をその資金に充てるため、梶原章旺の名義を借りたことに起因するものであり、これを譲渡した際、被告人名義で譲渡したと申告しては不都合が生ずることを慮った大森から右梶原名義で申告手続をする旨報告を受け、被告人としてもやむを得ないものとしこれを容認したに過ぎないもので、実際は既に山林の購入時の購入方法に原因があったのであって、被告人が当初から譲渡税を免れるため計画的に行ったものではないのであるから、原審は情状に関する事実の評価を誤っているものである。

四 健太郎の所得に関する日の丸商事分の逋脱については、逋脱の本来の主体は日の丸商事を統括し、俊雄とともに脱線路線を敷き、被告人らにそれを補助させながらこれを維持した健太郎であり、被告人は健太郎の意を受けて従たる立場で逋脱に関与したに過ぎないのであるから、本条違反の共犯としてなら、ともかく、所得税法二四四条の両罰規定を適用されるいわれのないことは前述のとおりである。

1. 原判決が、昭和五一年八月ころから「老人性痴呆症等で療養中の健太郎に代って」日の丸商事の経営と税の逋脱を行った旨認定したのが誤りであることは前述のとおりであり、被告人は老人性のうつ状態に陥った健太郎の身を案じ、同人に事業上のことで心労をかけないように配慮して、大森に対しても仕事のことは一任するから健太郎に直接話さないように依頼し、健太郎の機嫌のよい時期を見計らって被告人から報告していたものであり、被告人が健太郎に代って日の丸商事を取り仕切っていたわけではない。

しかも昭和五四年ころからは、健太郎の健康状態も回復し、八幡西青色申告会の会長に就任して、その会合に出席して挨拶を述べたり、パチンコ店へのコンピューターの導入とこれに伴う店内改装、隣地の買収、フィーバー機の導入等の重要事項については、直接大森から逐一報告を受けて指示を行い、毎日の売上高については翌朝報告を受けるなど日の丸商事のみならず、藤田商事についても実質的完全に事業主として営業を統括していたものである。

2. その間健太郎は、税の逋脱については、直接に指示を行った事実がなく、かえって被告人において、売上除外額の計算を妹千恵子が行うこと、昭和五八年度において一時期除外率を減少することに直接関与しているが、計算担当者のことについては藤田商事分に関して述べたとおりであり、除外率の減少も大森の進言により、健太郎を含むファミリーに計って行ったものである。

したがって、日の丸商事の経営と逋脱を全体的に考察し、健太郎が老いたりとは言え、なお事業を差配しているところからするならば、依然として被告人は補佐役であって、その経営と逋脱の主体たりえないものである。

3. そうすると、日の丸商事分については、逋脱責任を問われて訴追されるべきは健太郎であり、被告人や千恵子ではなかったことになる。

租税逋脱犯において所得の帰属しない従業者が事業主とともに起訴されることは極めて稀であり、皆無というに近い。納税義務者を本来の対象とする逋脱犯においては、その者の指示もしくは決定した路線に従って逋脱行為を行った所得なき従業者は、訴追の必要がないと考えられているのである。

本件においても、日の丸商事分の逋脱の主体が健太郎であることが捜査段階で判明しておれば、同商事分については、健太郎のみが訴追され、本条違反の共犯者として被告人と千恵子が訴追されることは実務上ありえなたったと考えられる。

藤田商事分について、千恵子が本条違反の共犯者として訴追されたのは、同人が日の丸商事分について、両罰規定で被告人とともに訴追されたことに関連して生じた稀な事例であると思料する。

このように、日の丸商事分については、被告人は実体を誤って認定されたため、本来訴追の価値なき事件についてその刑責を問われているものであり、この点は量刑上十分に考慮さるべきであると思料する。

4. 被告人は誠実な人柄で、その孝心深さは改めていうまでもないところである。老父を起訴から免れしめたい一心から虚偽の供述を重ねたことはまことに申しわけない次第ではあるが、そのために裁判所の真実発見の眼を曇らせ、いまや第一・二審ともに懲役刑の実刑判決の言渡を受け、その服役を覚悟しなければならない立場に追いつめられつつあるのである。

ネフローゼ症候群の治療のために副腎皮質ホルモン剤の服用を永年続けなければならず、その副作用のために骨は脆弱化し、健康状態は更に悪化の一途を辿っている。原判決後、被告人はストレス性大腸炎のために入退院を繰り返し、その間、大腸ポリープ切除手術を受けたものの、健康不調のため胆石摘出手術は延期せざるを得なくなり、また、原因不明の状態で血清総蛋白量が減少したため、ネフローゼ症候群の再燃が懸念される状態である。

もし被告人が服役することになれば、永年世話になっている縄田医師と常に密着して治療養生に当り、副腎皮質ホルモン剤を必要かつ最少量投与し続け、同剤の副作用を早期に発見してこれに対する防止と食事の規制について格別の配慮を受けることはできないから、被告人の生命の危険は必至といわざるを得ない。まさに被告人にとっては懲役刑の実刑の言渡を受けることは生命刑たる死刑の宣告を受けるにも等しい思いである。おそらくは老齢の父母や叔母達とも永別しなければならない可能性が多いのである。

思えば、昭和五六年から昭和五八年にかけては、パチンコ業界は空前のブーム時期であり、日の丸・藤田両商事関係のパチンコ店においても、フィーバー機を導入したことによって飛躍的に所得が増大したため、本件犯行における所得税の逋脱額がいわばその最盛期の三年間のもので、極めて高額になったことも被告人にとってまことに不運なことであった。

逋脱額が高額の場合には、犯情を一切顧慮することなく、懲役刑の実刑に処すべしというのであれば、逋脱犯が行政犯だからといっても余りに画一的に過ぎるのみならず、それではわが国の刑事裁判はまことに血も涙もない非情なものというのほかはない。

病身で孝心深く、もとより犯罪性もない誠実なこの女性を死地から救う道はないのであろうか。特に、被告人に対する刑の量定が原審の重大な事実誤認と法令違反にもとづくものである以上、原判決が破棄されずに確定するとすれば、被告人としては一体どこに救いを求めればよいのであろうか。老父を起訴から免れしめたことを以ってすべてを諦めなければならないのであろうか。

被告人は第一審判決言渡直後、有限会社藤田商事の会長を辞任してパチンコ業から一切身を引いて恭順の意を表したほか、被告人の父健太郎は自分の代りに愛娘の被告人が懲役刑に服さねばならなくなることを嘆き悲しみ、自己の贖罪のためと被告人を救うために全財産を投げ出してもよいと申し出たので、弁護人らは、健太郎から一億円を寄付して貰い、これを基金として財団法人渡邊育英会を設立することを勧告したところ、更に被告人から七、〇〇〇万円、健太郎、被告人以外の渡邊家の人々から合計三、〇〇〇万円の寄付を得たので、幸いにも合計二億円の基金で財団法人渡邊育英会の設立をみるに至り、現に昭和六二年度から給費活動を始めているのであるが、原審は健太郎が老人性痴呆症に罹患していると妄断したうえ、被告人に健太郎の身代りとしての罪責を負わせて、これらの第一審判決後の情状には一顧だも与えなかったのである。

最近になって、大森は弁護人らに対して、「私は、千鶴子さんは病弱とはいえ、一門の方々から大切にされて育ってきたので、こんな恵まれた人はいないとひそかに羨ましく思っていましたが、いま考えてみると、お父さんや一門の方々に対する長年の恩返しのために自ら人身御供になったようなもので、かわいそうな人だとつくづく思われてなりません。」と述懐したが、この述懐こそ、被告人の現在置かれている立場を適切に表現しているものと思料される。被告人としても、日の丸商事についてはもとより、藤田商事についても、ファミリー構成員の意思を無視して逋脱路線の継続をやめることは到底できなかったことと思われるが、弁護人らとしてもファミリー内の責任問題の真相は触れ難い面もあり、早期に把握することがまことに困難であった。

本件においても、これが事案の真相糾明を遅くした面があったことを否定できない。

弁護人らは、本件審理をとおして、本件においては、健太郎と被告人及びマサノのみが、それぞれの経営名義の事業所得の逋脱について起訴され、健太郎についてはむしろ相当の責任罰が考慮されてもやむを得ない面があるとしても、被告人及びマサノに対しては、懲役刑についてはいずれも執行猶予を付せられるのが、真相に近い処理であったかと思料されるが、いずれにしても、刑事訴訟法の集中審理、一審における審理充実の原則の守られ難い面があることをまざまざと思い知らされたのである。

原審といえども、被告人と同じ立場に立ったとき、決然と従来から行われていた売上除外を改めて正しい所得税の確定申告をすることができる者が果たして幾人かということになれば、おそらく国民の過半数の人々にそれを期待できるとはよもや思わないであろう。だとすれば、何で石をもって被告人のみを打たなければならないのであろうか。原審は、だからこそ他の国民を戒めるために一般予防の見地から一罰百戒の実をあげねばならないというかも知れない。しかし、もしそうだとするならば、被告人に対する処罰は単なるみせしめにしか過ぎないことになる。被告人が二度と犯罪を犯す可能性は全くない。それでも特別予防的立場は全く無視されてもよいものであろうか。あるいは原審は、これほど高額の脱税をした以上、渡邊家の人々のなかから一人も懲役刑の実刑に服する者がいないのではしめしがつかないと思ったのかも知れない。しかし、それではなおさら被告人をあわれないけにえとするもであって、現代刑法の刑罰個人責任主義の原則を踏みにじったことにならないであろうか。

原審の刑の量定は、健太郎が昭和五一年八月ころから老人性痴呆症に罹患し、その後は被告人が健太郎に代って日の丸・藤田両商事関係のパチンコ店の経営を真実に統括していたのならばやむを得ないところであるが、病身で、これらのパチンコ店へは一回も行ったことがないような被告人にパチンコ店の経営を統括できる筈がないし、実際にもそうでなかったことは、捜査段階における質問てん末書や供述調書にとらわれることなく、素直に渡邊家の実情とその他の事実関係を直視すれば自ら明らかなところである。如何に被告人らの供述が変遷しているとはいえ、どうして裁判所にその実情と事実関係が理解して貰えないのであろうか。刑事裁判官は、形式にとらわれることなく、もっと社会の実相を理解する能力を持たなければならないと思われる。

思えば思うほど、老人性痴呆症に罹患したこともない健太郎を老人性痴呆症に罹患したとし、かつ、健太郎に代って被告人が日の丸・藤田両商事関係のパチンコ店の経営を統括したとして、被告人に対しては懲役刑について執行猶予を付するのが相当とはいえず、被告人にとって死刑にも等しい懲役刑の実刑に科することもやむを得ないとした原審の刑の量定には到底承服することができないのである。

以上のとおり、原審の被告人に対する刑の量定は甚しく不当であって、原審を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、すみやかに原判決を破棄されたい。

○上告趣意書

被告人 渡邊千鶴子

私に対する昭和六二年(あ)六五〇号所得税法違反事件についての上告の趣意を申し述べます。

昭和六二年七月二七日

右被告人 渡邊千鶴子

最高裁判所第一小法廷 御中

一審でも、二審でも、実刑の判決がでて、その罪責を深く反省していながら、服役という形で罪の償いをしないままに「上告」してしまった私の真情を述べさせていただきます。

一審の判決の前夜の日記に、私は「実刑なら死ぬか、入るか」とだけ書きました。「実刑なら」と甘い気持になっていったのは、マサノ叔母と妹と三人での併合裁判で、検事さんの「論告求刑」の時、裁判官から、叔母と妹は起立を求められましたが、病人の私だけには、着席したままでよいとのお許しが出たときからです。裁判官は私の病気を理解して下さったのだと思い、ひそかに安堵していました。

「論告求刑」のその日に、検事さん側から、実刑判決の事例として提出された久保田さんは、私と同じ北九州の人で、翌日の新聞で、私は、久保田さんが収監の日に、収監されることを苦にして自殺されたということを知りました。「入る」というのは、「獄に入る」という気持ですが、「死ぬ」というのは、久保田さんのことが頭にあって、裁判官から「着席」のお許しがあったというので、涙を流して喜んでくれた老いた父母や叔母達をおいたままで、身勝手にも一人で楽になろうとしたのかもしれません。今でも「死」で償うという方法もあるのだと私は考えないわけではありません。そして私の「論告求刑」の日と、久保田さんの「死」が重なりあったという事実に、運命的なものさえ感じてしまうようになっています。

「着席」を許されて「執行猶予」を期待する心を持ちはじめたのも、国税局の査察の人から、「病人のあなたには実刑は大変だろうから、沢山の罰金で解決できるように話はついている」という意味のことを言われた時すでに無意識のうちに私のなかに巣くっていった考えなのかもしれません。

五十歳を過ぎても、病人だからといって家族の庇護のもとで、社会的にも、家族からも自立していなかった私だったからこそ、一審も二審も、その判決のあとは、「ネフローゼ」という持病の他にも、ストレス性大腸炎で、入退院を繰り返すという情けなさでした。「大腸ポリープ」とか「胆石」とか、いろいろと別の病気までみつかり、それは二審が終ってから手術をするということで、産業医科大学病院の外科の先生との間で話合いがつきました。

二審の判決の前夜の日記には、私はもう何も書けませんでした。そして、控訴棄却の日、「鏡の中の老いた顔、これが私の顔なのだろうか。控訴審でも、実刑、実刑、実刑、実刑」とだけ書いています。事実、私の髪は同年輩の人よりも白髪が多く、ネフローゼのために髪を染めることも出来ず、それがまた殆んど白髪になってしまい、髪の量も昨年の春あたりから半分に減ってしまいました。

一審で実刑なら二審でも実刑かもしれないと怖れながら、やはり、私には「執行猶予」を期待するものがありました。今度は理由があったのです。「控訴趣意書」を書かれた弁護士先生に、裁判官から、「ここからここまでは削除したほうがいい」と二度にわたってアドヴァイスがあって、それは、「理由のくいちがい」や、「法令適用の誤」のところだったからです。わざわざ削除せよというにはそれなりのことがあるのだと素人心にも、いや素人であったが故に、「判決」に甘えた気持を抱いてしまったのでした。

「着席」とか「罰金で補ってやる」とか、こちら側で勝手に推測することよりもっと意味があることだと信じたのでした。

「弁論再開」があったとはいえ、「判決」はなぜか二週間も延期され、更に期待心をくすぐられた結果は惨めなものでした。

昭和四四年以来、何度となく再燃を繰り返すタイプに属する、たちの悪い「ネフローゼ」に囚われている私は、長い間、制限された行動しか出来ずに、いままた控訴審のあとの入院で、繰り返し服用している、副作用の怖い「ステロイド・ホルモン」を更に増量して、病勢を止めることが出来るのかどうか、それも限界にきているように思われ、この急変する病気への恐怖は、身近かで、その死に遭遇した者にしかわからないことだと思います。

二審判決後、私は予定通りに、産業医科大学病院で大腸ポリープの手術を受けましたが、体調に自信がなかったので、「胆石」の手術は秋にのばしてもらいました。ポリープは通院でも手術出来る簡単なものと聞いていましたが、自分で想像していた以上に体が衰弱していることを知りました。痛み止めに混ぜられていた少量の麻薬に負けたのか、私はただ荒い息をしながらじっと横たわって動けずにいました。「腎盂造影」をしてわかったのですが、その造影剤でも私は副作用を起すこともわかりました。だから「胆石」の手術の前には、カメラをのみ、ファイバースコープでのぞくことになっていますが、そのときの痛みとか疲労することを考えただけでも心が冷えてしまいそうです。

私は、翌土曜日になっても、朝から夜までの間に三〇〇ccの尿しか出ておらず、医学的には、「乏尿」になっていました。健康な人の一日の尿量は一〇〇〇ccから一五〇〇ccが普通なのです。そんな私を安心させようと、何度も病室を出入りして蓄尿瓶をのぞきこんでは、何かと言葉をかけてくれる当番の看護婦さんのいたわりが嬉しく、心から感謝いたしました。私にも少しずつ人間らしい感情が戻りはじめているのがわかりました。

無関心、無感動、無気力というのが、「燃えつき症候群」だということを新聞記事で知り、この三年間の私そっくりだと思っていたからでした。以前に一日中の尿量が一五〇ccのときを経て、甦った経験もあり、その後、結核の再発などの副作用を怖れてふみきれなかった「ステロイド・ホルモン」をはじめて服用したのですが、今度はすでに服用中のことなので、私にはドラマチックに効いたこの薬への奇妙な安心感がありました。

それよりも、三日後の入浴のときに少しふらつき口のまわりにチアノーゼが出ているのを見たときの恐怖をいまも忘れることが出来ません。少しでもふらつきがあったときには、たとえ道路の真中であってもその場でしゃがみこむようにと常々主治医からは、「起立性低血圧」のことでは注意を受けていましたし、トミコ叔母といっしょに、脱税路線を作った叔父が昨年亡くなるときに口のまわりからチアノーゼが広がってゆくのを見ていたからでした。そして私は、私自身の「死」を予見し、それを怖れている私自身をも知りました。

産業医科大学病院の外科を退院した私は、いつもとは違う体調に気づき、五日後の、六月一日に萩原中央病院へ入院しました。院長の主治医も、理事長の先生も、九州厚生年金病院で、私の「ネフローゼ」とははじめからつきあって下さった先生方です。検査の結果、私の血清総蛋白量が六グラムに減っていて、六・五グラムから八グラムという正常値からはずれてしまっているのがわかりました。このことは、一審の判決のあとにも六・二グラムまで下がったことがあったのですが、そのときには一過性のものと診断されていたのです。今度は入院以来の毎週の定期検査で、採血の結果が、一週間経っても〇・一グラムしか増加せず、逆に低下した週もあったりして、週二回の注射を受けるようにもなりました。入院をして八週目の検査でも、まだ血清蛋白は正常値になってくれません。

「ステロイド・ホルモン」を服んでいるからだとはいえ、この数年の「寛解(リミッション)」の状態が、急に悪化する理由も見当らず、ポリープ切除のためとか、ストレスのためとか主治医は医学的に証明しにくいといわれるのです。でも、現実に、蛋白尿も出ないのに、血清総蛋白だけが低下してゆく無意味さは、やはり「ネフローゼ」の再発以外に考えようもなく、かって入院中に「ステロイド・ホルモン」を服みながら再々発したときのことを思い出すと、叫び声をあげたい不安でいっぱいです。裁判が終ったら、その頃が一番危険な状態になりやすいから、充分気をつけるようにと主治医からは宣告されていたからです。おまけに「ステロイド・ホルモン」の副作用として警戒していた「骨粗鬆症」や「大腿骨骨頭壊死」の前兆のためか、腰が突然痛くなり、整形外科受診のあと、週三回の注射を受けるようになりました。整形外科の指示で、病院のベッドには、ベニヤの一枚板が敷かれるようになりました。一週間に三日は骨のために、二日は「ネフローゼ」のための注射があります。「ステロイド・ホルモン」の使用も限界にきているとしたなら、それはとりも直さず私の生命の限界にもなります。

昨年の十一月、産業医科大学の外科で、胆石専門の助教授から、「ネフローゼの安定している今、胆石の手術をするのが、一番よい時期で、痛みがきたときにネフローゼが悪化していないという保障はないのだから、そのときには手術はしにくいし、長く放っておくとガンになる怖れもある」と言われていましたが、ネフローゼが安定していると思われていたそのいまでさえ、私はついに体調を崩してしまったのです。この秋に胆石の手術が本当にできるのかどうかいまは全く予想をたてることも出来ません。

昭和四四年から三年三カ月の間、九州厚生年金病院に入院していたときの私は本当に泣き虫でした。再燃を繰り返しながらも一度は「ステロイド・ホルモン」との別れがあったのですが、五三年の再燃のときには、もう決して泣かないと心に誓わねばならないほどの衝撃でした。今年、六月からの入院では検査値の低下で或る種の絶望感に加えて、この三年間の捜査から裁判へとよく耐えることが出来たという特別のおもいがありました。私は、裁判のある期日にむかって体調を調整することに必死でしたし、裁判の途中で、一度入院はしましたが、期日をのばしていただいたのは一週間だけで、関係者の皆様方に出来るだけ御迷惑をおかけしないようにとがんばりました。

私は、消灯時間後、久しぶりに枕の上に落ちる涙の音を聞き呆然としてしまいました。一審、二審とどうにか持ちこたえた体のことを思いながら、わたしにもやっと人並みな感情が戻ってきたのがはっきりわかったからです。

長い間、社会の外側の病床で、寝巻のままで暮らしていた私に突然起ったこの社会的な事件が、逆に私を感情のない人間にしてしまったのです。なぜならわたしの人生は、「病人」ではじまり「懲役人」で終わってしまうのだという絶望感が、いつのまにか虚無感へと変っていったからでした。

人並みな感情に戻ってみると周囲もよく見えるようになり、すべてがいやになりました。老いた父に汚名をきせたくないために一身に背負うと決めたその罪をなぜ最後まで全う出来なかったのでしょう。一審で、実刑になったからといって、二審ではやがて八五歳になるという父を証言台に立たせた私がいやになりました。

「このままでは死んでも死にきれない、真実のことをお話しするために証人に出たい」と父のほうから言い出したときになぜそれを拒まなかったのでしょう。父を、妹を、大森さんを庇うための捜査での供述を、一審の、「最終陳述書」で述べたように、たとえ弁護士先生方のおすすめがあったとはいえ、公判では次々に真実の供述へと近づいてゆき、家族を庇いきれなかった私自身の心の貧しさがいやになりました。でも公判での供述は、一審でも、二審でも何も採用されなかったことを思うと、やっぱり庇えてよかったという思いと、逆にやりきれない思いにもかられてしまいます。

裁判所に私はとうとう理解されなかったのです。父もまた何も信じてはもらえなかったのでした。

控訴審の判決文でも、「昭和五一年八月ころから老人性痴呆症等で療養中」と父のことを断定されていますが、全くの「事実誤認」であることを訴えたいと思います。父は五一年も今も「老人性痴呆症」ではないからです。医学書院の「老人心理へのアプローチ」-編者代表長谷川和夫-には次のように書かれています。

――この定義からわかるように痴呆は進行性であり、また非可逆的である。したがって老人にときとしてみかける一過性の循環障害や心因性のストレスから起こる痴呆様の症状たとえばある短い期間に限って起こる一過性全健忘や、うつ状態にみられる一見痴呆の症状などは、仮性痴呆といわれ、真の痴呆から区別される。――

控訴審で、裁判所が何を根拠に父を痴呆性と断定されたのか理解に苦しみます。「うつ病」でさえ、癒るといわれるこの頃、父は、「うつ状態」で、国税局査察の人には、診断書も提出しております。「うつ状態」が、精神病だという認識で、私は、父をその病名から庇いたかったのです。だから査察の人にお願いをして相談した結果、「老人ボケ」という言葉を使った事実をも知ってほしいと思います。

更に父は、査察調査のショックと、病人の私が父の罪を背負うと決めて父の口封じをしたことで、逆に父の苦悩は深まり、ついに下痢症状から脱水状態、栄養失調へと進んでゆき、内科に入院してしまいました。六〇年の検事調べの段階で、父は内科医に、「老人性痴呆症」と診断されましたが、これは控訴審では父が出廷して証言出来たことから考えてみても控訴審で私が供述いたしましたように誤った診断だったようです。その証拠に、父は証人として、「私としては、被告人を身代わりにさせたと思うと夜も眠れません」「被告人は、私が年をとっていると思って私の為に覚悟のうえで検察官や国税局の取調官に自分がやったことのように述べている訳ですが、一番悪いのは私で、被告人には迷惑を掛けて申し訳ないと考えております。どうか被告人を助けてやってください」とさえ証言しているからです。

私は、そんな父を踏台にしてまで実刑から逃れようとしているのかと自己嫌悪でいっぱいになります。そんな父に報いるためにも、身勝手なことですが、裁判所に私自身の病気のことを御理解いただきたいと思います。

服役すると必ず獄死すると父が信じていることも、あながち大げさとも思えないからです。私は今度入院してから読み、感動した、加藤恭子、我妻令子の「メガホンの講義」には、令名高い民法学者で、いまは亡き我妻栄先生親子の生き方がかかれています。

我妻先生は、T医師から結核性関節カリエスと診断されて膝下までの重い鉄と皮のギブスを一生はめるようになられたのですが、それが実は誤診だということをT医師の死後、T医師の弟子から告げられました。それを知った息子の人類学者の洋氏は、そんなバカなと声をあげたのに栄先生は、「……T先生は当時の医学の最高の知識に基づいて診断を下し、先生の全知識を傾けて、最上と信じられる処置をとられた。……T先生の誤診は、T先生の時代の科学の限界だったのだ」と諭されたそうです。それから二十年後、息子の洋氏が食道ガンになり丸山ワクチンをすすめられたとき、「一人の医者という科学者が『この方針で行こう』と決めたからには、それを受けてたつのが科学者の立場だ」と、彼の時代の科学に対して、一人の科学者として敢然と堪えられたのでした。私もまたいま生きている私の時代の裁きに対する態度を教えられたような気持になりました。私にはまだ「上告」が残されています。この上告でも、「棄却」という「実刑」が私に科せられたとき、我妻先生方のような悟りが私の中に生まれるものでしょうか。控訴審の判決文には、「反社会性の強い犯行であるというべき」となっていますが、その社会から遠ざかっていた私は、これを契機に社会復帰へと歩きはじめねばなりません。今の、「病院生活」を「牢獄生活」に置きかえ、それが私の「日常生活」なのだと私自身に納得させるための努力をし、今から先、私の前に広がってゆく光景が、私の罪の償いのために耐えねばならないもので、私はそれに従うべきだとも思います。でもそれは私の現在の病状からみて死以外の何ものでもないともいえます。採血の度に儚い希みをもつのですが、私の総蛋白量には変化はなく、カリュウム値まで下ってしまい、ますます厳しくなってゆく病勢の前で、私は償いとして何をしたらよいのかと心が痛みます。元気なら一刻も早く罪の償いをしなければならないのに、いまの私にはそれが出来そうにありません。

心の底から反省をしていても、それを形に現すすべもなく、私の時代の裁きが私の運命を決めてくれたとき、そして父が予見するように私が獄死した場合、老齢で病人である父母や二人の叔母達はどうなるのでしょう。

私は、日本文芸家協会の「文学者之墓」に入るための、生前者手続きをすませましたが、まだ代表作の登録をしていませんので、いまは死ねないのだと思ったりもいたします。

「ネフローゼ」にとっての一番の敵である、三K、つまり「過労、感染、寒冷」から家中で私を守ってきた老人達をおいて服役しなければならないとしたなら私の心はチヾに乱れます。私は私でまた老人達の健康に関する相談相手でもあったからです。「鼻水が出はじめた」、「少し熱があるみたい」、「腰が痛い」、「目がかすむ」、「下痢をした」、「歯が痛い」、「眠れない」、あげれば際限のない老人達の訴えに耳を傾け、それぞれに説明をして安心させていた私がいなくなったあとのことを思うと不安でいっぱいになります。

父は、病院からかける私の電話に出てきて、いつもこう言います。「気を強く持てよ、気を強く……」。父が、「自分の身代りになって懲役にいった娘」と、私のことを負担に思っていて、私が刑務所に入っている間に、いま前立腺前ガン症状で治療を続けている父との終生の別れがあるとしたなら……私は、結果的には親不孝だったのだと胸をかきむしりたい思いでいっぱいです。

病院にいる私に、「四つ葉のクローバー」をさがして届けるような、幼女になりかかっている腰の曲った母の頭の中には、私の実刑判決以来、毎晩列車が走っているような音がしていまも消えないそうです。私から結核菌をうつされてびっこになり、もう二〇年近くも私の治療食を作ってくれている母に対しても、私は生涯、「病人」であったあとは今度は、「懲役人」としての生活に入ったとしたなら、最後まで恩返しをすることのできない不孝な娘になってしまうでしょう。

私にとっての七月は魔の月「いままで発病、再発とすべてが七月に集中しています。ともかくこの七月を乗りきることが出来るのかどうか心配ですが、私は生きている限り、行動に制限のある病気とつきあいながら、私に出来る方法で、社会奉仕をいたします。たとえばボランティアとか、困っている人達に基金をするとかいった形でも、奉仕することは出来ると思います。

「ネフローゼ」の悪化で入院している私のお願いをお聞きいただき、「上告趣意書」の提出を延期してくださったことに、深く感謝いたします。どうぞ御寛大な御判決を、心からお願い申しあげます。

なお、私の病状を御理解していただくため、別紙のとおり医証を添付いたします。

医証

〈省略〉

○上告趣意補充書(一)

昭和六二年(あ)第六五〇号

被告人 渡邊千鶴子

右被告人に対する所得税法違反被告事件について、左記のとおり上告の趣意を補充する。

昭和六二年九月二九日

右主任弁護人 加藤石則

右弁護人 山本茂

右弁護人 平田勝雅

最高裁判所第一小法廷 御中

本件上告における弁護人の主張の基本は、公訴事実第一の日の丸商事分について被告人は所得税法二四四条違反の罪責を問われたのであるが、被告人の父渡邊健太郎が事業を差配しており、脱税の責任者でもあるから、同人が同法二三八条違反の逋脱責任を問われるべきであって、同人の補助者として若干の関与をしたに過ぎない被告人については、同条違反の共犯者としての罪責が成立しないわけではないが、同法二四四条を適用した起訴は不当であり、それを認容した原判決は誤りであり、また同法二三八条違反の共犯者としては本来は起訴されるに相当でない事案であるので、原判決の量刑も不当であって被告人には刑執行猶予の判決が相当であるというにあるが、被告人の関与した事業は実質的には健太郎を中心とする渡邊一族によって経営され、その実体は一義的ではなく様々な側面を有していること、被告人が捜査官に対して健太郎をかばって自己の責任を強調する供述をなし一審でもこれを維持していたことなどから、弁護人の主張が上告審に至るまで順次変遷し、初めて事案の実体に副う主張を展開した上告趣意が説得力に欠けるきらいがあると思料するので、その経緯と事案の特殊性を更に補足して上申したいと考える。

一1. 弁護人は一審の段階においては、被告人は名目的な事業主であり、経営の実際は支配人である大森隆心によって遂行され、税の逋脱についても叔父渡邊俊雄と大森によって路線が敷かれ、被告人はこれが踏襲されることを容認していただけで、被告人は形式的に関与したに過ぎないことを主張、立証した。

この事実は、その限りにおいては、すべて真実であって現在においても何ら訂正の必要を認めないところである。

2. しかしながら、弁護人の一審における主張には、健太郎の存在とその役割の部分が欠落している点において基本的な欠陥を有するものであった。

それは、被告人が国税査察官及び検察官に対して、昭和五一年夏以降は老人ボケした健太郎に代って自分が事業を統轄した旨供述しており、弁護人に対しても、俊雄と大森の役割は明らかにしたものの、健太郎については真実を述べると一旦起訴猶予処分に付された健太郎が改めて訴追されるのではないかとおそれて一審でも同人をかばい続けたため弁護人も事案の真相を把握することができなかったためである。

被告人らは、健太郎が不起訴処分に付された際に、起訴猶予処分と聞き、文字通りに処分保留に準じた処分を受けたものであり、何時でもそれを変更して起訴されるおそれがあると思っていたのである。

また、健太郎も昭和五九年春ころから健康を害し、更に同年九月に査察調査が開始されたことによる衝撃も加わって、翌六〇年に被告人らが起訴された段階で弁護人が健太郎に面接した時点では、同人は極めて衰弱しており、それに加えて同人も被告人らから「何もしらなかったふりをした方がよい」と言われていて、そのとおりに振舞ったため、弁護人としても供述調書どおりに健太郎が老衰したのに伴い世代が交替して被告人が事業を統轄する形となり、大森が実務を担当し、税の逋脱については従前に定められた路線を踏襲していたものと認識したことによるものである。

ところが、健太郎は後述するように、少なくとも起訴対象年度おいては事業を差配する健康を保持していたものである。

3. このように査察開始から起訴に至るまで健太郎の健康状態が悪化していた上、被告人らが健太郎をかばって同人は事業や逋脱に関与していなかったと供述したことも手伝って、国税当局及び検察官の判断と処理を誤らしめる結果となったのである。

本件のような税の逋脱事犯においては、起訴の対象期間のみでも三年間という長期にわたる上、その後査察開始までに本件では九か月を経ており、捜査終了までには更に約一年を要しているし、原因となる事実は起訴対象年度から相当過去に溯ることになる。

このように長期間にわたる事実を確定するに当たって、健太郎のように高齢で健康状態が悪化し、気力と体力に消長を来たし易い人物が関与している場合には、捜査段階における健康状態にとらわれることなく、継続して行われる事柄の路線が決定されるまでの状態や、起訴(告発)対象年度の状態を認定しなければならないと思料される。

昭和六二年に至って、証人として出廷し、自己の身代りとなった娘のために切々としかも論旨明確な証言をした健太郎が、昭和五一年段階から老人性痴呆症に罹患していたとする原審の認定が全く不当であることは論をまたないところであるが、健太郎に所得税法二三八条の逋脱犯が成立しないとして、同人に同法二四四条の両罰規定を適用した捜査処理もまた不当である。

例えば、健太郎の検察官調書には、逋脱の事実を全く知らなかった旨の供述記載があるが、検察官に対して一応自己の立場を一貫して弁明できる能力を有する事業主が、高額の逋脱を知らなかったというのは非常識に過ぎ、捜査官がその供述を信じたとは到底考えられない。

しかし健太郎の捜査段階での健康状態からすれば、同人を逋脱の主体としては捜査処理が手続的に困難になると考えて、敢えて真実を追及することなく、健太郎をかばって自己が事業を取り仕切ったという被告人の供述に疑問を感じつつも便乗して事案を処理したきらいが感じられる。

4. 弁護人としても、若干の疑問は感じつつも、被告人の供述を尊重した上、目前における健太郎の健康状態に目を奪われて真実に気付かず、同人が依然として事業を統括しており、証人として出廷できる程に回復するとは全く想定できなかったし、更に、健太郎の起訴猶予処分についての説明が不十分であったため、「起訴猶予」という語からして、状況が変化すれば簡単に処分を変更して健太郎が起訴されるものと心配している被告人の懸念を取りはらって真実を述べさせることが一審段階ではできなかったことを反省せざるをえないが、原審で縷々立証したこところからすれば、健太郎が起訴対象年度においても事業を統轄していて被告人はその補助者であり、逋脱についても、路線を敷いてそれを継続させた主体は健太郎であることが御理解いただけるものと思料するものである。

二 弁護人の原審における主張、立証については、一審判決後の検討で健太郎が昭和五一年以降も事業を統轄していたことが判明した上でのものであるから、著しく実体と反する点はない。

1. ただし、控訴趣意書において、昭和五一年八月ころからは、被告人が健康を害した健太郎に代って名目的経営責任者となった旨主張したのは適切を欠いており、大森の検察官調書中の供述記載のように、健太郎がおこりっぽくなり、不眠を訴えたりして、やや、神経衰弱的な症状が表れたので、被告人が健太郎の健康を心配して仕事の話を大森から健太郎には直接言わないようにさせ、被告人が大森と健太郎の中に立って、同人の機嫌の良い時に重要事項を報告し、裁断を求めていたものであるから(記録一九七丁の四九〇以下)、被告人は健太郎の健康状態が悪化していた昭和五一年ないし同五三年ころにかけても、名目的にも経営責任者と呼ぶのは適切でなく、あくまでも補助者に過ぎなかったのである。

更に、被告人は昭和五三年九月ころからは、副腎皮質ホルモン剤の服薬を中止したため、ネフローゼが再燃し、その療養に努めるようになったので、その後は健太郎の補佐役としての役割を十分には果たせなくなったものである。

また、そのころ売上金の保管等を担当していた叔母トミコも健康を害して、その事務を千恵子に引き継ぎ、また翌五四年には俊雄も脳軟化症で入院するに至ったので、健太郎の奮起を促す結果となり、再び健太郎が直接大森ら従業員を指揮監督する場面が多くなり、健太郎は青色申告会の会長等の社会的活動まで行うようになったのである。

2. また、渡邊家の事業が健太郎を頂点とするファミリー全体で経営され、被告人の叔父、叔母の発言権が強く、被告人はファミリーの中でさほどの発言権を持たないとの事実を控訴趣意書で主張しなかったのは、原審におこる公判準備の際、弁護人が被告人や健太郎の健康を配慮して被告人宅に何回か赴いた結果、新たにファミリーの結束の強さと、年長で経営上の経験の深い叔母トミコやマサノの発言権の強さに気付いたことによるものであり、これを要するに弁護人の一、二審及び当審の主張は健太郎の役割に関する主張の変化の点を除くと、その他については渡邊ファミリーの経営を異なる側面に焦点を当てて述べたに過ぎず、いづれもその限りにおいて正しいものであって主張を実質的に変更したのではないのである。

3. ところで、弁護人は、控訴趣意書の量刑不当の項において、健太郎に所得が帰属する日の丸商事分については、同人が逋脱の主体であるから、同人に所得税法二三八条違反が成立するので、被告人については、同条違反の共犯の罪はともかく、同法二四四条違反には該当しない旨の主張をし、更に控訴趣意補充書において右主張を事実上撤回したのであるが、これは適用される法案に差異はあっても被告人が逋脱に関与した事実それ自体は否定できないのであるから、事実上及び法律上の論点をあらわにして争うことなく、問題点を指摘し、情状の差異を明らかにして寛刑判決を得たいというのが基本方針であったためであり、右主張を撤回した経緯については上告趣意書第一点に記載したとおりである。

三 要するに本件では、被告人が捜査段階で供述し、一審及び原審が認定したように、日の丸商事についても被告人が健太郎に代って事業を統轄し、被告人が主体となって逋脱行為を行ったか、弁護人が原審で立証し、上告趣意で主張したように健太郎が依然として事業を統括し逋脱の主体であるかの事実認定が基本問題であるので、本件の特殊性及び被告人の公判廷(特に原審)における供述並びに証人渡邊健太郎、同大森隆心らの証言が真実であることについて更に言及したい。

1. 本件では、在宅による取調べであったのに拘らず、被告人は、健太郎が昭和五一年夏以降は事業経営に関与せず、被告人が単独もしくは事項によっては妹千恵子と協議して事業経営と税の逋脱をなした旨虚偽の供述をなしたものである。

しかるに、原審が被告人の公判廷の弁明を排斥して、その捜査段階の供述に基づいて事実を認定したのは、被告人らが身柄を拘束されることなく在宅で取調べを受けたことを重視して、その供述が真実であると判定したためであると思料される。

しかしながら本件逋脱犯の捜査は、まず数字の根拠となる資料を押収し、売上の除外や売上金の保管が行われる過程については、関係者に対して十分に打合せと検討の機会を与え、場合によっては供述を符号させるために話し合うことを勧めながら取調べを進めたのであるから、被告人らが素人なりに渡邊一家に対する受難に対処するには、誰が責任者として振舞った方が得策であるかを考えて話し合う余裕が与えられるので、かえって強制捜査よりも真実に反する供述がなされる可能性が大きいことも考えられるのであって、本件の場合には在宅の任意調べが行われたことが、かえって真実に反する供述を引き出すことになったものである。

2. 被告人が藤田商事のみならず日の丸商事までも統轄していたか否かは、渡邊一家の内部事情に過ぎない面があり、しかも被告人が健太郎を補佐して一家の窓口として従業員特に支配人に接していたことから、被告人が主体であったと言い、あるいは健太郎が主体であったと言っても客観的で明白な事実と矛盾するところがないので、捜査段階における虚偽の供述が容易に措信され易いと同時にこれを否定する主張を具体的で客観的に明白な事実に基づいて立証することもまた困難である。

しかし、創業主であり、昭和四〇年代においては、売上を一部除外した裏金でしきりに不動産投資をしていた健太郎が、その資金の出所を知らないということはありえないし、被告人らに依頼されて、健太郎は逋脱を知らないと供述した大森の検察官調書においてさえ、重要事項は被告人を通じて健太郎の裁断を求めていたことの供述記載があり、億単位の裏金が保管され、それが割引債券に転換されていたことに健太郎が無関係でありうる理由がないのである。

3. 更に、本件のようなパチンコ店の経営は、実質上の事業主が直接店頭に出て従業員に指示命令するよりも、基本の構造ないしはルールが確立し、しかも資金的に余裕があるならば、経営者は奥に退いて信頼できる支配人等の従業員に運営を委せることが可能性であり、むしろ事業主が直接日々の売上げや利益率に関与せず現場を預かる責任者の判断を尊重する方が得策である場合が多いのである。

健太郎は熱心な事業家であったが、従業員の不正防止に心を配り、機械等の支払代金を徹底的に値切ることに意欲をもやすものの、帳簿を点検して利益率に言及し、節税を指示するタイプの事業家ではなく、税の逋脱については当初は経理のベテランであり最も信頼できる弟俊雄に委せて脱税路線を敷き、裏金を運用して不動産取引を熱心に行っていたが、俊雄の脱税作業を引き継いだ大森に対しては、従来とほぼ同率の売上除外を毎日一定率で行うことを容認したのみで、その後は一切を大森に委ねていたものである。

そのため、健太郎の老齢化と衰弱に伴い、同人を補佐するようになった被告人の逋脱に関与した行為、すなわち除外額計算者の変更、除外率の変更等が目立つ一方で、健太郎の逋脱に関する積極的行動が見当たらないのであるが、日の丸商事の経営と売上除外を過去に遡って長期的総合的に観察し、健太郎の現在の健康と体力を、その証言内容から判断すると、日の丸商事の逋脱の責任者が健太郎であり、本来は同人について法二三八条の逋脱犯が立件訴追されるべきであったことは明らかである。

健太郎としては計数の問題に直接かかわることを厭う古いタイプの事業家でもあり、違法な売上除外とその蓄積方法については、基本路線を敷いた上で、信頼できる身内や大森らに具体的な作業を行わせ、直接積極的に口を出さないで見守るというある意味で極めて利口な方法で対処し、老いたりとは言え、一家の長として事業全体を統括していたのであるから、従前から定められた売上除外の路線の中で、除外額を計算したり、それの保管の任に当った被告人らの罪責は、健太郎に対して本来の姿に従って所得税法二三八条の逋脱犯が立件される限り、補助者としての被告人らは立件追訴される余地はなかったと思料されるのである。

4. 被告人が、健太郎をかばって虚偽の供述をした理由については、単に健太郎が老齢で衰弱していたので刑事責任を問われるのは忍びないと思ったばかりでなく、被告人は病弱で長い間健太郎を初めとする家族の庇護を受けるばかりであったので、この際役に立ちたいと考えたこと、被告人は病弱で社会的な生活をしていないので失うものが少ないが、それに比して父健太郎は事業家として、あるいは地方の名士としての長い生活の歴史があるのでその晩節を全うさせてやりたいと考えたこと、共同経営者とも言うべき叔父、叔母との関係でも本家の長女たる被告人が矢面に立つ必要を強く感じたことなど合理的な理由が多数存在するのである。

しかも、当時の被告人としては、右のように健太郎らをかばって一身で責任を取っても、なお逋脱した本税と制裁税を支払えば、刑事手続で実刑に処せられることはないという安易な考えをその当時の一般的な風潮に従って抱いていたために虚偽の供述をなしたものである。

また、一審の段階においても、被告人は健太郎を守り続けるためには健太郎が逋脱の主体であることの真実を秘匿し続けなければならないと考えて捜査段階の供述を変更せず、弁護人に対してさえ真実を述べなかったものであり、その背景には、それでも寛刑判決が受けられるのではないかという期待があったからである。

ところが、一審では被告人の期待した執行猶予の判決が得られず、しかも被告人は病身で受刑に耐えられる体力を有しないところ、健太郎が自分の身代りで娘を刑死させるのでは死んでも死に切れないので裁判所に出廷して真実を証言するというに及んで、被告人もようやく、事の真相を弁護人に吐露するに至ったものである。

右のように被告人が真実に反する供述をして健太郎をかばったこと、一審判決後その供述を変更するに至ったことには、いづれも合理的で納得の行く根拠の存するところである。

5.以上、述べたところからすると、本件は、日の丸商事分については健太郎を、藤田商事分については被告人を、いづれも所得税法二三八条違反で訴追し、その範囲内で逋脱責任を問うのが相当な事案であるから、本件公訴事実中被告人が同法二四四条違反に問擬された日の丸商事分についての各事実は被告人に対する量刑の資料たりえず、被告人の刑責は専ら公訴事実第二の藤田商事分について量定されるべきところ、同商事分の逋脱額は決して少額ではないものの、既に上告趣意書等で述べたように、被告人の情状は到底実刑に値しないものであるから、原判決を破棄しないと著しく正義に反するものである。

○上告趣意補充書(二)

昭和六二年(あ)第六五〇号

被告人 渡邊千鶴子

右被告人に対する所得税法違反被告事件について、左記のとおり上告の趣意を補充する。

昭和六二年九月二九日

右主任弁護人 加藤石則

右弁護人 山本茂

右弁護人 平田勝雅

最高裁判所第一小法廷 御中

一 上告趣意中、第二点の事実誤認の点について。

被告人の父渡邊健太郎が昭和五一年八月ころ老人性痴呆症に罹患したので被告人が健太郎に代って事業運営を行ったとの原審の認定は、原審において、被告人の刑事上の責任を過大に認定したことに直接関係すると思われるので、是非とも、その認定の当否について明確な御判断を賜りたい。

二 同第三点の法令違反の点について。

本件公訴事実第一の一ないし三の各事実については、上告趣意書で論述したように、被告人を所得税法二四四条違反として処罰することはできないのであるから、被告人は右各事実については無罪であると思料され、原審の法令違反の判決に影響を及ぼすことはいうまでもない。

しかし、右各事実について、訴因及び罰条を変更して、被告人を健太郎の同法二三八条違反の犯行の共犯者として責任を問われる場合を考えざるをえない。

そこで、被告人が所得税法二四四条違反として処罰される場合と健太郎の同法二三八条違反の犯行の共犯者として処罰される場合との量刑上の差異については、後記三において論述するように、後者の場合には、このような起訴が通常なされていないこと及び被告人の作為によるとはいえ、右各事実につき不起訴となった健太郎に対する処遇と比べて著しく均衡を失い、実質的には被告人を健太郎の身代りとして起訴したことになり、かりに、右各事実について、訴因及び罰条の変更がなされたとしても、右各事実についての刑の量定に当たっては、起訴が公正を欠く結果になることが十分に斟酌されるべきである。

すなわち、所得税法二四四条と同法二三八条の法廷刑は同一であるが、右各事実につき、被告人が同法二四四条違反とし処罰される場合と、被告人が健太郎の同法二三八条違反の犯行の共犯者として処罰される場合とでは、その量刑の基礎となるべき情状関係において全く異なるものがあるといわなければならない。

したがって、原審の法令違反は、いずれにしても、必然的に本件の量刑上に重大な影響をもたらさざるをえないから、原判決には判決に影響を及ぼすべき法令の違反があることは明らかである。

三 同第四点の量刑不当の点について。

本件においては、検察官の起訴が適切を欠き、これを容認したことが、被告人に対する一審及び原審の量刑不当の重大な原因となっているのである。

本件公訴事実第一の一ないし三(日の丸商事関係)の所得税逋脱の各事実については、納税義務者で実質上の所得帰属者である渡邊健太郎に所得税法二三八条違反の犯罪が成立し、被告人及び被告人の妹で一審相被告人である渡邊千恵子に同法二四四条違反の犯罪が成立する余地のないことは、上告趣意書において論述したところによって明らかになったものと思料する。

被告人及び千恵子に、日の丸商事関係の所得税逋脱の事実について責任があるとすれば、せいぜい健太郎の同法二三八条違反の犯行の共犯者としてのみが考えられるに過ぎないのである。

しかしながら、被告人及び千恵子を、日の丸商事関係の所得税逋脱の事実について、健太郎の同法二三八条違反の犯行の共犯者として起訴することが妥当といえるであろうか。

弁護人らは、寡聞にして、所得税法二三八条違反の犯行の共犯者として、主犯者である納税義務者ないしは実質上の所得帰属者の近親者らが起訴された事例を知らないのである。もっとも、本件公訴事実第二の一ないし三の各事実について、千恵子を被告人の所得税法二三八条違反の犯行の共犯者として起訴したことは、まさに例外中の例外に属し、その当否が問題とされるべきところである。

しからば、何故にこのような事例が乏しいのであろうか。

思うに、例えば、中小家内企業においては、脱税は、家族ぐるみでなされることがむしろ一般的で、その場合にも、起訴されるのは納税義務者(実質上の所得帰属者)のみである。その場合に、その情を知って逋脱に協力をした配偶者やその他の近親者らをも起訴することはまずありえないことである。どうしてこのような起訴がありえないのか、その理由を考えてみると、逋脱事犯においては、納税義務者ないしは実質上の所得帰属者を処罰するのが原則(所得税法一二条参照)であり、また、それで十分にその租税犯処罰の目的が達せられ、納税義務者ないし実質上の所得帰属者を所得税法二三八条等で処罰できないときに、同法二四四条を発動するということになるのであって、殺人罪等の自然犯の場合のように共犯関係者を厳しく訴追するのとは事情を異にするからと思料される。もし、逋脱事犯についても、殺人罪等の場合のようにこれに協力した近親者や使用人らをも共犯者として厳しく起訴することになれば、処罰の範囲が余りにも広くなり、租税犯処罰の目的を逸脱した不当な結果を招くことになると思われる。

これを本件についてみるに、日の丸商事も藤田商事も、ともに実質的には、健太郎を頂点とする渡邊ファミリーの経営する中小家内企業である。そして、本件逋脱の事実については、渡邊ファミリーの構成員は全員これを承知していたし、そのうちの多くの者は、主要な従業員らとともにこれに関与しているのである。しかるに、日の丸商事関係の所得税の逋脱について、その納税義務者(実質上の所得帰属者)である健太郎は所得税法二三八条違反の立件を免れているので、それが被告人の虚偽の供述によるとしても、同人を起訴しないで、被告人らを健太郎の同法条違反の共犯者として起訴することは、主犯者たる健太郎に対する処遇及び通常このような起訴は考えられない点等にかんがみて、結果的に、被告人らを健太郎の身代りとして起訴したものにほかならないことになるから、著しく公正を欠くことは明らかである。

本件公訴事実第一の一ないし三の各事実については、被告人を所得税法二四四条違反に問擬した訴因及び罰条を維持する限り、被告人の所為は同法条違反に該当せず、被告人は無罪であるべきであるが、かりに訴因及び罰条を変更して、被告人を健太郎の同法二三八条違反の犯行の共犯者としての起訴に改めるとしても、それは、前述のように甚だしく不公正な起訴と同一の結果を来すことになるから、到底妥当な措置とはなし難いのである。

一審と原審は、日の丸商事関係の所得税逋脱の各事実について、被告人を所得税法二四四条違反として処罰すべきでないにもかかわらず、これを処罰したものであるが、かりに、一審と原審が、右各事実につき被告人を右法案によっては処罰すべきでないことを覚知していたとすれば、当然に検察官に対し、訴因及び罰条の変更を勧告したものと思料される。そして、一審及び原審が、右各事実について、被告人を健太郎の同法二三八条違反の犯行の共犯者として処罰する場合においては、右訴因及び罰条の変更に伴う本件起訴の著しい不公正な結果に当然に思いを及ぼし、被告人に対する量刑をなすに当って、この点を十分に斟酌すべきものであることは、まさに理の当然と言うべきところである。

しかるに、一審と原審は、公訴事実第一の一ないし三の各事実について、所得税法二四四条違反としてなされた被告人に対する起訴を正当としたものであるから、本件について被告人に対する量刑をなすに当り前記のような斟酌をなす余地は全くなかったことが明白と言わなければならない。そして、右各事実関係の逋脱額合計五億九、一二七万九、〇〇〇円についても被告人が当然に重い責任を負うべきものとし、これに被告人が納税義務者で実質上の所得帰属者である藤田商事関係の所得税及び不動産譲渡税の逋脱額合計三億五、二五九万六、八〇〇円を加うれば、本件における逋脱額は九億円を超えるとして、その逋脱額の甚だしく高額であることのみに目を奪われて、その実情及び前記のような訴因及び罰条を変更してもなお起訴に著しく不公正を来す点等に全く思い至ることなく、被告人に懲役刑の実刑を科すよりほかはないと誤判したのである。

思うに、本件は(一)被告人が健太郎を起訴から免れしめようとして、捜査段階において、自らも虚偽の供述をし、関係者にも虚偽の供述をさせたこと、(二)検察官が、これらの供述によって起訴を誤ったこと、(三)弁護人らも、当初被告人から十分に真実を聴取することができず、また、訴訟追行の主目的を被告人に対する懲役刑の執行猶予を得る点に置いたために、本件公訴事実第一の一ないし三の各事実等についての事実上、法律上の論点をあらわにすることを避けて、ひたすら裁判所の温情に期待するような訴訟の追行方法を採ったこと、(四)一審及び原審においても、当事者のこのような訴訟追行のためか、本件事案の真相のみならず、検察官の起訴の違法性をも見抜くことができず、被告人らの捜査段階における虚偽の供述に依拠して本件の事実関係を誤認したこと、以上の点が重なりあって、本件が事案の真相から遠く離れて認定され、被告人に甚だしく酷に失する重罰が下されたと言うことができないであろうか。弁護人らとしても、痛烈な自戒反省とともに刑事事件の適正処理の困難さを今更の如く思い知らされている次第である。

いずれにしても、検察官の起訴が適正であったとすれば、被告人は藤田商事関係の所得税と不動産譲渡税の逋脱額合計三億五、二五九万六、八〇〇円の逋脱の事実についてのみ審判をうければよかったのである。そして、被告人の妹千恵子は何ら刑事被告人とされることもなく、況んや、執行猶予とはいえ、懲役刑の判決をうけることはなかったのである。しかし、これは、健太郎が起訴を免れた代償と言うべきものであろうか。

以上の諸点を考慮し、本件事案の情状、特に被告人の実質的関与度と被告人の性格及びその健康状態等にかんがみれば、被告人を懲役刑の実刑に処するよりほかはないとした一審及び原審の刑の量定は甚だしく不当であり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、すみやかに原判決を破棄されたい。

○上告趣意補充書(三)

昭和六二年(あ)第六五〇号

被告人 渡邊千鶴子

右被告人に対する所得税法違反被告事件について、左記のとおり上告の趣意を補充する。

昭和六三年二月二四日

右主任弁護人 加藤石則

右弁護人 山本茂

右弁護人 平田勝雅

最高裁判所第一小法廷 御中

一 上告趣意中、第二点の事実誤認、第三点の法令違反及び第四点の量刑不当の各点について。

(一) 日の丸・藤田両商事の経理会計事務担当者が、渡邊俊雄から大森隆心へと交替が行われたのは昭和五一年三月ころであり、その際大森は、右両商事関係の各パチンコ店の売上一部除外が、従来は所得税の確定申告段階に適当な金額をはじき出してなされていたのを改めて、右両商事ごとに一定率で除外するように進言して、渡邊健太郎の承認を得たのであって、被告人は、右担当者の交替にも、右売上一部除外方法の変更にも何ら関与していないこと。

第一審第二回公判調書中の証人大森隆心に対する尋問調書によれば、大森は、日の丸・藤田両商事の経理会計事務担当者の交替については、昭和五一年三月ころに、これまで右事務を担当していた渡邊俊雄の北九州市議会議員の仕事などが多忙になったため、同人に代って大森が担当することになったところ、大森は、右両商事の関係の各パチンコ店の売上一部除外が従来は所得税の申告段階に適当な金額をはじき出していわゆるつまみ申告がなされていたのを改めて、右両商事とも毎日一定率で除外するように進言して渡邊健太郎の承認を得た旨、及び健太郎は、同年六月ころ旅行(メキシコへの旅行)から帰った後健康を害し、商売をやってゆく状態ではなくなったので、被告人において、大森に対し、今後は任せるから仕事の話は健太郎にはしないようにしてほしいと注意した旨供述し、第一審第五回公判調書中の被告人の供述調書における被告人の供述の内容もほぼこれと同旨のものと認められる。

しかるに、大蔵事務官の被告人に対する昭和五九年一二月一三日付質問てん末書と被告人の検察官に対する昭和六〇年九月六日付供述調書によれば、被告人は、俊雄から大森への右経理会計事務担当者の交替時期を昭和五一年盆過ぎころであるとか、健太郎が健康を害したころであるとか供述して、その交替の時期を漠然と供述しており、しかも、その交替について健太郎の関与があったかどうかについては全く触れられておらず、また、そのころ被告人が大森に対して、帳簿のことや税金のことは任せるからなどと言って、暗に右両商事関係の各パチンコ店の売上を従来どおりに実際より少なく申告するように依頼した旨及び被告人は、その後大森が右両商事関係の各パチンコ店とも売上の一定率を除外して公表帳簿に記載していると聞いた旨の供述をしており、大蔵事務官の大森隆心に対する昭和六〇年一月二九日付質問てん末書及び大森隆心の検察官に対する同年九月三日付供述調書によれば、大森もほぼ被告人の右供述と同旨の供述をしていることが認められる。

そこで、被告人及び大森の捜査段階における右各供述(以下これを前の供述という。)と第一審段階における右供述(以下これを後の供述という。)のいずれに信用性があるかを比較検討する。

まず、前記経理会計事務担当者交替の時期について考察するに、このような担当者の交替は、通常経理会計事務の何らかの区切りのよいときに行われることが通常であるところ、昭和五〇年度の所得税確定申告作業が終了する時期は昭和五一年三月中旬ころであることは、おおよそ公知のことであり、しかも、右交替が健太郎が健康を害した後に行われるというが如きことは、俊雄の従来からの立場上、如何に公務の繁忙を理由としても到底考えられないところであるから、これらの点からみても、右交替が昭和五一年になされたことが記録上これを否定することができない以上、右交替の時期は同年三月ころであったと認定することが合理的であると思料される。

そうだとすれば、健太郎が昭和五一年六月にメキシコ旅行から帰国したことは記録上明らかなことであるから、右交替の時期当時においては、健太郎はその約二、三か月後にメキシコ旅行を決行すべく予定していたものと推測され、当然その健康状態も良好であったと認めざるを得ないから、同人が右経理会計事務担当者の交替に全然関与しなかったものとは到底考えることができず、同人の承認なくして、大森の売上一部除外方法についての変更案が実行されることも考えられないところである。

このように考えると、「後の供述」は極めて自然に理解されるところであるのに対比して、「前の供述」によれば、右交替の時期があいまいであり、かつ、俊雄が健太郎の健康状態の悪化後に交替を申し出たと考えざるを得ないので、この点を含めて、どうしてそのような時期に重大事務担当者の交替が行われねばならなかったかの点について全く説明がつかないのみでなく、大森は、如何に被告人から一切を委せるからと言われていたとしても、売上一部除外方法の変更というような重大事項を、健太郎にも被告人にも事前に相談することもなく、独断で実行に移した後で被告人に報告したということになって、まことに不自然といわざるを得ないことになるのである。

以上の諸点から考えても、「前の供述」は、健太郎を起訴から免れしめる目的で、同人が本件脱税行為には一切関与していなかったことにするためになされた虚偽の供述であることが明らかであり、「後の供述」にこそ信用性があるものというべきである。

そして、第一審第五回公判調書中の被告人の供述調書中には、被告人は昭和五一年に感染症で入院した旨の供述記載部分(同調書五一項参照)があるが、これは、被告人が同年一月上旬ころから約一か月間耳下腺炎で入院したことを指すのであって、このことからも同年三月ころは被告人の健康状態は決して良好ではなかったことが推測されるのである。

そして、大蔵事務官の被告人と渡邊千鶴子及び大森隆心に対する各質問てん末書並びに同人ら及び渡邊健太郎の検察官に対する各供述書中の「後の供述」に反する各供述記載部分は、「前の供述」が信用できないのと同一の理由によって、いずれも到底信用し難いものと思料される。

したがって、日の丸・藤田両商事の経理会計事務担当者の交替が行われ、かつ、右両商事関係の各パチンコ店の売上の一部除外方法をそれぞれ一定率で除外する方法に変更されたのはいずれも昭和五一年三月ころであり、そして、このことには、健太郎の承認があったことが認められ、被告人は、右担当者の交替にも右売上一部除外方法の変更にも関与したと認めるべき証拠はなく、また、被告人がこれに関与したものと認めることは不自然かつ不合理というべきである。

(二) 原審第一回公判調書中の証人渡邊健太郎の尋問調書によれば、渡邊健太郎は、日の丸・藤田両商事関係のパチンコ店についての本件所得税逋脱の事実を知悉容認していた旨供述していることが明らかであるにもかかわらず、原審は、右健太郎の供述には一顧だも与えることなく、かつ、その信用できない理由について何らの説明もすることなく、理不尽にも、健太郎が昭和五一年八月ころ老人性痴呆症に罹患したので、被告人において同人に代ってパチンコ店の経営に関与するようになり、本件所得税の逋脱をなすに至ったと認定しているのであって、健太郎が老人性痴呆症に罹患したとの認定が、原審の事実誤認と法令違反及び量刑不当の過誤を犯した最大の原因であること。

原審における弁護人の最大の立証方法は、証人渡邊健太郎の供述であった。

同証人の供述の要旨は、「本件所得税の逋脱当時はもとより、現在においても、日の丸・藤田両商事ともに日常の事業経営は大森隆心にまかせているが、経営上の重要事項は自己においてこれを裁断しており、本件所得税の逋脱についても、売上の一部除外による逋脱は自己の容認のもとに従前からなされていたことでもあり、当時当然これを知悉容認していたこと、被告人は病弱のため実質的にはたいしたこともしていないのに、自分の身代りとなって懲役刑の実刑判決を受けたのであって、現在では被告人の言いなりになって、大蔵事務官や検察官に対して、本件所得税逋脱のことは全く知らなかったと虚偽の供述をして、被告人に自分の罪を背負わせたことを痛切に反省し、悲嘆にくれている。」というにあることは、前記同証人に対する尋問調書の記載に徴して明らかなところである。

しかして、同証人の右供述が信用されるならば、被告人を懲役刑の実刑に処した第一審判決は、当然に破棄されるべきものと思料されるので、原審においても、右供述の信用性如何が審理上の最重要事であったはずである。

そして、同証人の右供述の内容は、同証人の検察官に対する供述調書の記載内容と重要部分において著しく異なるものであることは、右尋問調書と供述調書の各記載内容を対比すれば極めて明瞭といわなければならない。

弁護人としては、同証人の検察官に対する供述調書は、同証人が被告人から「私の方で何もかも話をするから、お父さんは何も知らなかったように言って下さい。」と言われて、その趣旨に副った供述をしたところが記載されたもので、事実に反した虚偽の供述内容が記載されたものであるから、信用性がなく、同証人が原審において供述したところが真実であると信ずる次第であるが、いずれにしても、原審は、同証人の尋問に当っては、その供述するところについていささかでも疑問を感じたとするならば、右供述と検察官に対する供述調書の記載内容との相違点について、当然補充質問をするなどして、いずれが真実であるかを確かめる努力をなすべきであり、また、同証人の供述が信用すべきものでないとすれば、判決理由中にその信用できない理由を説示すべきであったと思料されるにもかかわらず、原審は、同証人に対して右のような意味での実質的な補充質問をすることもなく(もっとも、原審第一回公判調書中の同証人に対する尋問調書によれば、陶山裁判官は、同証人に対して、昭和五六年ころの売上の一部除外額、当時の売上総額と除外額及び脱税総額を質問したが、同証人においては、いずれも「忘れました」とか「分りません」と答えていることが認められる。しかし、右質問自体がいささか漠然として明瞭を欠くもの-例えば、売上総額とか除外額というのは、日の丸商事関係か、藤田商事関係か、あるいは日の丸・藤田両商事についてか、また、脱税総額とはいつからいつまでのものを言うのか、全く不明である-であるうえに、老齢者は判断力とか思考力や推理力より記憶力がまず減退することは周知の事実であり、特にこのような計数上のことについては同証人は依然から余り関与することを回避する傾向があり、かりにその当時には記憶していたとしても、計数上の記憶は老齢者の最も苦手とするところであることも容易に是認し得るところであるから、当時八五歳の老人であった同証人が、法廷の緊張した状況のなかでの陶山裁判官の前記のような質問に対し、前記のように答えた一事を以って、同証人の供述を信用し難いとすることは不当であると思料される。)、しかも、同証人の右供述の信用できない理由を判決書に何ら記載することもなく、同証人が昭和五一年八月ころ老人性痴呆症に罹患したと全く事実に反した非常識極まる認定を敢てして、同証人の右供述に一顧だも与えなかったのである。これでは、弁護人としても、原審が同証人の右供述をどのように考えてこれに一顧だに与えなかったのか全く理解することができないのみでなく、同証人が右供述をしたこと自体に対しても、同証人が健太郎以外の人物であったことでもいわない限り、全く説明がつかないのであって、裁判所にこのような理不尽極まるやり方が許されてよいものであろうかと慨嘆せざるを得ないのである。

なお、これは弁護人の手落ちかと思われ、まことに恐縮に堪えないところであるが、仄聞するところによれば、大蔵事務官の同証人に対する質問てん末書二通が福岡地方検察庁に保管されているとのことであり、また、日の丸・藤田両商事と取引関係にある株式会社安井組の副社長安井清が、本件について、大蔵事務官から取調べの通知を受けた際にも、被告人において、同人に対し、「父は老人ボケしていることにしているので、日の丸・藤田両商事のことは何もかも私が取りしきっていたと話してください。」と依頼したため、同人は大蔵事務官に対して右同旨の供述をしたとのことであるが、大蔵事務官の同人に対する質問てん末書も同検察庁に保管されているものと思料される。

以上のとおり、原審証人渡邊健太郎の供述についての原審の判断態度はまことに不可解であり、不合理としかいいようがなく、しかも、このことが原審誤判の最大の原因と考えられるので、是非とも、右供述の信用性についての再吟味を、前記取調べ未了の資料等の取調べを含めてお願いしたいと思料する。弁護人としては、そのことによって、本件起訴の不当性及び被告人の日の丸・藤田両商事の事業経営と本件所得税逋脱の事実についての関与の実情をも併せて更に明らかになるものと確信するものである。

二 上告趣意中、第四点の量刑不当について。

昭和五五年一一月ころ、被告人が藤田商事関係のパチンコ店の売上一部除外を従来の五パーセントから一〇パーセントに変更するように大森に指示したことはないこと。

大蔵事務官の被告人に対する昭和五九年一二月一三日付及び昭和六〇年三月一五日付各質問てん末書と被告人の検察官に対する昭和六〇年九月六日付供述調書、大蔵事務官の大森隆心に対する同年一月二九日付質問てん末書、大森隆心の検察官に対する同年九月三日付供述調書中には、昭和五五年一一月ころ、被告人が藤田商事関係のパチンコ店の売上一部除外率を従来の五パーセントから一〇パーセントに変更することを検討するように大森に指示した旨の各供述記載部分がある。

しかるに、第一審第四回公判調書中の証人大森隆心の尋問調書並びに第一審第五回、第七回各公判調書及び原審第二回公判調書中の被告人の各供述調書によれば、昭和五四年暮のコンピューターの導入に伴う店舗の大改装によって藤田商事関係のパチンコ店の売上高が急上昇し、その借入金が減少したため、従来どおり売上の五パーセントを除外するのみでは、日の丸商事関係のパチンコ店との均衡を失するようになり、他の同業者からのつきあげを受けるおそれも生じたところから、同年一一月ころ、大森において、被告人に対して、藤田商事関係のパチンコ店の売上の一部控除除率を五パーセントから一〇パーセントに変更するように進言したので、被告人はファミリーにはかって大森の右進言どおりに右除外率の変更をすることにしたことが認められる。

ところで、もともと売上除外率を何パーセントにするかということは、日の丸・藤田両商事の均衡や各パチンコ店の売上実績と収支のバランス及び他の同業者との比較等を考慮して決定されるべきことであり、証拠上明らかな如く、昭和五六年から昭和五八年に至る間毎年八月から一二月まで藤田商事関係のパチンコ店の売上の一部除外率を一〇パーセントから五パーセントに引き下げ、また、昭和五八年一〇月から同年一二月までの日の丸商事関係のパチンコ店の売上の一部除外率を一〇パーセントから五パーセントに変更して計算しなおしたことも、すべて大森らの進言にもとづいてなされていたことであるように(大蔵事務官の被告人に対する昭和六〇年三月一五日付質問てん末書と被告人の検察官に対する同六〇年九月六日付供述調書及び大蔵事務官の高橋ユキ子に対する同年二月四~五日付質問てん末書中には、昭和五六年から昭和五八年に至る間、毎年八月から一二月までの藤田商事関係のパチンコ店の売上一部除外率の引き下げも、あたかも被告人が独断で決定したかのように看取される各供述記載部分があるが、右各供述記載部分も、これを原審第二回公判調書中の被告人の供述調書並びに大蔵事務官の高橋ユキ子に対する昭和六〇年四月三日付質問てん末書及び高橋ユキ子の検察官に対する供述調書と総合し、かつ、捜査段階では、被告人は、父健太郎はもとよりのこと、できるだけ大森や妹の渡邊千恵子らをかばい、罪を一身に引き受ける覚悟でその趣旨の供述をしたことと、売上一部除外率の変更は、事柄の性質上からも被告人が独断で決定できるものとは思われないことなどをかれこれ併せて考察すれば、被告人が昭和五六年の盆前ころ、藤田商事の支配人である高橋ユキ子に対して「五六年一月から今までの利益を概算するように」指示したことも、藤田商事関係のパチンコ店の売上一部除外率を五パーセントから一〇パーセントに引き上げることを決定した際に、大森から中間でまた検討する必要がある旨の進言を受けていたことにもとづくものであり、また、被告人は、大森や高橋から八月以降は、従業員ボーナス等の支払いのため、一〇パーセントでは公表帳簿上金がどうしても足りなくなると進言されたので、ファミリーにはかって、前記期間中の藤田商事関係のパチンコ店の売上一部除外率を一〇パーセントから五パーセントに引き下げることを決定したものと認められるべきものと思料される。)、日の丸商事関係においても、藤田商事関係においても、すべて大森によって事実上決定されていた事柄であって、被告人は、ただ大森の進言があれば、これをファミリーにはかって容認していたに過ぎないものであったから、昭和五五年一一月ころ、藤田商事関係のパチンコ店の売上一部除外率の変更について、被告人が大森に検討方を積極的に指示するというが如きことは、そのこと自体如何にも唐突の感を禁じ得ないところである。

被告人が、捜査段階において、健太郎や大森らをかばって罪を一身に引き受ける覚悟で、本件所得税の逋脱行為は、すべて自己においてこれを決定したかのように虚偽の供述をし、妹の渡邊千恵子や大森らにもこの趣旨の供述をするように依頼したことは、被告人が第一審の公判以来一貫して供述するところであるが、このことは、この藤田商事関係のパチンコ店の売上一部除外率変更方指示に関する捜査段階における被告人と大森の各供述にも現れているとみるべきではなかろうか。

以上のとおりであるから、前記大蔵事務官の被告人と大森隆心に対する各質問てん末書並びに被告人と大森隆心の検察官に対する各供述調書中の各供述記載部分はいずれもたやすく信用し難いところであり、他に被告人が大森に対し前記売上一部除外率変更方検討を積極的に指示した事実を認めるべき証拠はない。

したがって、被告人が大森に対しかかる検討方を積極的に指示した事実は認められるべきではないと思料する。

三 結語

既に論述したところにより、健太郎が昭和五一年八月ころ老人性痴呆症に罹患した事実はなく、しかも、同人は本件所得税逋脱の事実を知悉容認していたことも疑う余地のない程明白な事実であるから、原判決には事実誤認、法令違反、量刑不当の過誤があることは明らかであり、したがって、原判決は、このままでは俗にいう「すわり」のまことに悪い判決であり、いずれにしても事実誤認と法令違反を正したうえで改めて適正な量刑がなされて然るべきものと思料されるが、本件についてはいまだ審理を尽さざるところも多々あるものと思料されるので、最高裁判所におかれては、事案の真相を明らかにするためにも、是非とも原判決を破棄され、いま一度福岡高等裁判所において審理が尽くされるよう御配慮を賜わりたく切願する次第である。

○刑事裁判雑考

一 はじめに

最近わが国の刑事裁判について、弁護士や刑事法学者からの厳しい批判があい次いでいる。

「自由と正義」(一九八七年二月号及び七月号)誌上に、刑事弁護に活躍中の弁護士と刑事法学者による「いま日本の刑事裁判は」と題する座談会の記事が掲載され、その席上では、平野龍一先生が「団藤重光博士古稀祝賀論文集」に寄せられた「現行刑事訴訟の診断」という論文のなかで、「現行刑事訴訟法は欧米の刑事訴訟法の文化的水準に比べるとかなり異常であり病的でさえあるように思われる。」とか、「一口で言えば欧米の裁判所は有罪か無罪かを判断するところであるのに対して、日本の裁判所は有罪であることを確認するところであると言ってよい。」というような批判から、最後には「このような訴訟から脱却する道があるか。恐らく参審か陪審でも採用しない限りないかもしれない。現実はむしろこれを強化する方向に向かってさえいるように思われる。わが国の刑事裁判はかなり絶望的である。」と述べられて、現在のわが国における刑事裁判についてかなり悲観的な意見を発表されたことと、昭和五九年の司法統計によると、わが国の刑事裁判における有罪率が九九・八六パーセントと欧米に比べて著しくあるいは異常に高いということから、有罪判決のなかに誤判が含まれている可能性が危惧され、その改善についての提言がなされたのである。

わたくしは、ながく裁判官として刑事裁判に携わり、また、短い期間ではあるが、三年足らずの間弁護士として、いくつかの刑事弁護を担当したので、前記座談会の記事には到底無関心ではあり得なかった次第である。

そこで、わたくしなりに、わが国の刑事裁判について、いささか感ずるところを記述したいと思うのである。

二 事実認定について

刑事・民事を問わず、裁判の根幹をなすものは適正な事実認定であることはいうまでもない。特に、刑事裁判については、従来からこのことが強調され、恐らくは、わが国の刑事裁判官の伝統的信念と言っても過言ではないであろう。そして、わが憲法や刑事訴訟法のもとでは適性手続の遵守のためには実体的真実発見も犠牲にされることがあり得ることは当然予測されるところであるにもかかわらず、この裁判官の伝統的信念が、いままでは、実体的真実発見に固執するの余り、ときとして適性手続をも犠牲にした嫌いがないわけではなかったと反省させられるのであって、今日のわが国の刑事裁判に対する批判の根源の一つがあるいはこの点に根ざすものかと思われないわけでもない。

ところで、刑事訴訟法は、自白が被告人に不利益な唯一の証拠である場合に有罪と認定するには補強証拠を要するとしたが、この例外を除いては、証拠の証明力を裁判官の自由な判断に委ねた。すなわち、自由心証主義を採用しているのである。しかも、刑事裁判における事実の証明は、真実の高度な蓋然性をもって足るとされている(昭和二三年八月五日最高裁判所第一小法廷判決、最高裁刑事判例集二巻九号一一二三頁参照)。すなわち、裁判官が、通常人ならば誰でも疑いをさしはさまない程度に真実らしいとの確信を得ることで証明できたとするものである。

わたくしの経験から言っても、わが国の裁判官が、刑事裁判の事実認定に当って、いわゆる真実の高度な蓋然性をどのようにしてできるかぎり客観的な確実性、客観的な真実に近づけてゆくかという点に日夜苦悩していることを疑うことはできないが、裁判官が疑念をさしはさむ余地がない程度に高度の蓋然性があると認識したとしても、所詮は、それはその裁判官が、自己の経験と識見に照して、そのように認識したに過ぎず、また、自由心証主義においても経験則や論理法則に違反して事実を認定することは許されない(昭和二六年八月一日最高裁判所大法廷判決、最高裁刑事判例集五巻九号一六八四頁参照)とされるが、論理法則はともかくとして、経験則とか健全な常識とかいっても、所詮は、その裁判官の全人格的能力による判断にほかならないから、その認識主体によって異なることがあり得ることも当然と言わなければならない。

思うに、現在のわが国の刑事訴訟法は、被告人側に不利益に作用する構造をもっていることは疑う余地のないところである。特に、強制捜査が行われ、被疑者又は被告人が身柄拘束された場合には、彼らは密室の中で捜査官による糺問的取調べを受けなければならず、しかも、このような場合、公訴提起前の弁護人との接見すらも現実には著しく制限されており、また、公判段階に至っても検察官側の手持証拠の開示も十分ではないのであって、このような状態で、被疑者又は被告人側が、強大な権力と機構を有する捜査機関に対して対等であることは到底期待できない。

加うるに、刑事訴訟法三二一条、三二二条等の伝聞禁止の例外規定は、検察官側の訴訟追行の優位性を更に確保せしめて、公判廷における直接審理よりは捜査段階に作成された書面による心証形成の可能性を増大させているのである。

刑事裁判官である以上、これらのことは百も承知のはずであるが、わたくしは、まずもって、刑事裁判官が、身柄を拘束されている者の心が、強大な捜査官憲の前に如何に揺れ動くかということを常に心にとどめて、被告人の捜査段階における自白等について特に慎重な吟味をされるようにお願いしたいのである。

現在、わが国の刑事裁判において、最も憂慮されていることは、被告人の捜査段階における自白と被告人以外の者の検察官に対する供述調書の証拠価値を裁判官が余りにも重視し過ぎるのではないかと思われる点であろう。

平野先生をして、前記「現行刑事訴訟の診断」のなかで、「わが国の刑事訴訟の実質は、捜査手続にある。しかも、その捜査手続は、検察官、警察官による糾問手続である。そこにわが国の刑事訴訟の特色がある。」とか、「日本の裁判官は、そもそも法廷というところは真実を明らかにするに適したところではないと考えているように思われる。」と言わしめていることについて、わが国の刑事裁判官はどのように答えればよいのであろうか。

わたくし自身の刑事裁判官としての経験に徴しても、特に、被告人の自白があった場合にも、まずできるだけそれを除く証拠によって事実認定をするように心掛けたつもりではあったが、被告人の自白や被告人以外の者の検察官に対する供述調書を任意性ないし信用性がないものとして、その証拠能力又は証拠価値を否定した事例は極めて少ないことを告白せざるを得ない。

いま、僅かながらの刑事弁護人の経験を通じて、刑事裁判の事実認定も、所詮は、裁判官の経験や見識によるところが多いことをまざまざと痛感させられるのである。まさに、刑事裁判官は、法律家であるより以前に経験豊かで見識の高い人間でなければならない。しかし、わが国のキャリア裁判官は、法律家であるとしても、必ずしも経験豊かで見識の高い人間であるとは断定できない。彼らの殆どは、正義感が強く、勤勉、清廉、純情な人柄ではあるが、裁判官としての人生経験は、複雑に屈折した世相や人情の機微を正しく理解するには余りにも限られており、そのうえに、ときとして官権的・独善的思考を持つ傾向の人がないとは言い得ないのであって、それらの裁判官の思考方法は、どちらかといえば検察官的思考方法に近似したものになり易く、これが、被告人の自白や被告人以外の者の検察官に対する供述調書へ不当に傾斜せしめ、心証形成に際して、公判廷における審理の結果よりもこれらの供述調書等を重視せしめる要因となっていることを否定することはできないであろう。そして、ここに誤判の危険性が胎蔵されているといっても決して過言ではないと信ずる。

公判廷における審理を重視してこれを実質的に充実させることと捜査段階に作成された供述調書等に対する厳密な吟味、そして、究極的には「疑わしき被告人の利益に」との刑事裁判の大原則の尊重が、現在においてこそ、刑事事件の適正な事実認定のために、刑事裁判官の一層の自戒と修練とともに、更に強調されねばならないと改めて痛感させられる次第である。

三 ある事件の教訓

わたくしは、ある刑事事件に弁護人の一人として関与していろいろと貴重な教訓を得た。それは、任意捜査事件で、しかも、被告人、弁護人ともに一・二審段階でも公訴事実を認めて争わなかった事件であるから、有罪・無罪が直接に問題とされている事件ではない。しかし、この事件処理についても、いろいろと考えさせられる問題が含まれているのであって、わたくしは、いまこの事件の弁護人の一人として痛烈な自戒・反省とともに、刑事事件処理の困難さを今更の如く思い知らされているのである。

事案の概要は次のとおりである。なお、被告人は、妹B(後記X・Y両店関係の各所得税逋脱の事実について被告人の共同正犯として起訴された。)及び叔母C(自己経営のパチンコ店Z関係の所得税逋脱の事実について起訴された。)とともに起訴されたものであるが、B・Cはいずれも一審のF地裁で懲役刑について執行猶予の判決を受けたので、控訴せずに確定した。事案の説明をできるだけ簡略にするために、B及びCの関係の説明を省略することを許されたい。

被告人は、現在五三歳の独身女性で、文学を愛好し、病弱のため日頃はベッドで小説を書くことを楽しみとしており、もとより前科はない。現在八五歳の被告人の父Aは、昭和二六年ころからK市でパチンコ店Xを経営し、昭和四三年ころ、病弱のため大学への進学もできず、また、結婚もできそうにない被告人の将来の生計を憂慮するのあまり、X店に隣接して、被告人名義でパチンコ店Yを創設し、右両パチンコ店の経理会計業務は、昭和五一年まではAの弟のD(昭和六一年六月死亡)とAの妹E(Eは昭和五三年にBに引き継ぐまで現金保管等の会計事務を担当)が担当していたが、昭和五一年以降は他の日常の業務一切とともに支配人Oが担当し、AにおいてOを監督して右両パチンコ店の事業を統括していた。

右両パチンコ店においては、それぞれの開店当初から昭和五〇年度分まではDによって、それ以降はOによっていずれもAの了解のもとに売上の一部除外による所得税の逋脱がなされていたところ、昭和五九年九月の国税局の査察によって、昭和五六年度から同五八年度にいたる三年間に、X店関係で五億九、〇〇〇万円余、Y店関係で三億五、〇〇〇万円余(但し、この逋脱額中には不動産譲渡税の逋脱額も含まれているが、比較的小額であるうえ、犯情からいっても大勢に影響を及ぼすものとも認め難いので、これを含めてY店関係の逋脱額とすることを許されたい。)の所得税の逋脱がなされていることが発覚した。

被告人は、大蔵事務官に対しても、検察官に対しても、Aが昭和五一年ころから健康を害して老人ボケしていたので、X・Y両店とも自己においてAに代ってその事業を統括し、所得税の逋脱も自己がB・Oらに指示してなさしめたものであって、Aは右逋脱の事実を知らなかった旨供述し、A・B・Oらも被告人の意向に従って被告人と同旨の供述をしたため、検察官は、AについてはX店関係の逋脱行為は認められず、また、所得税法二四四条の所得の帰属する納税義務者の監督責任についても訴追は相当でないとして起訴せず、被告人については、X店関係の逋脱に関しては同法二四四条により事業の統括者としての行為者責任を、Y店関係の逋脱に関しては同法二三八条により所得の帰属する納税義務者としての責任を問うべくF地方裁判所に起訴した。

一審であるF地裁の公判段階においては、被告人・弁護人ともに、被告人がX店の事業を統括していた点は否認したが、公訴事実を認め、大蔵事務官の被告人やB・Oら関係者に対する質問てん末書についても、その信用すべきでない点について裁判官の注意を喚起したのみで、すべて証拠とすることに同意したうえ、本件犯行は、被告人が企画・実行したものではなく、Oの進言に従って従来からのやり方を踏襲したに過ぎないもので、逋脱の準備行為(売上除外率の決定)においても、その実行行為(所得税の確定申告手続)においても、被告人が積極的かつ決定的な役割を演じたものではないこと、その他被告人に本件所得税逋脱行為の阻止を期待することは至難であった(被告人は、逋脱行為をやめようとファミリーに相談したこともあったが、逋脱行為をやめることは、同業者との関係上困難な面があり、また、逋脱行為をやめると急に申告所得が増大することになるので、税務当局がかえってこれに不審を懐いて調査を始めるのではないかなどと憂慮して、遂に逋脱行為をやめることができなかった事情が窺われる。)こと、被告人がネフローゼ症候群という難病に罹患しているため、懲役刑の執行を受くれば、その生命の危険が予測されることなどを主張し、被告人及びBはいずれも本人として、Oは証人として、それぞれおおむね右主張と同旨の供述をしたが、F地裁は、捜査段階における被告人らの供述調書等に全面的に依拠して公訴事実をそのまま認めて、被告人を懲役二年及び罰金一億三、〇〇〇万円に処する旨の判決を言渡した。

なお、本件については、Aにおいて本件所得税の逋脱事実を知悉容認していたとすれは、X店関係の逋脱については、当然にAにおいて所得税法二三八条違反の罪が成立し、被告人に対しては同法二四四条の行為者責任を問う余地はなく、もし、被告人をX店関係の逋脱についても起訴するとすれば、せいぜいAの同法二三八条違反の犯行の共犯者としての責任追及のみが考えられるに過ぎない(しかし、例えば、中小家内企業においては、脱税は家族が共謀してなされることがむしろ一般的であるが、起訴されるのは納税義務者ないしは実質上の所得帰属者のみであることが原則(なお、所得税法一二条参照)であることから推しても明らかなように、通常このような場合に被告人をAの同法二三八条違反の犯行の共犯者として起訴するというようなことは極めて例外的である。もし、このような起訴がなされるとすれば、本来行政犯である租税犯に対する処罰の範囲を余りにも拡大して、実質的に連座制類似あるいは本件のような身代りの処罰を認めるに近い結果を招くことにもなりかねず、まことに不当というほかはない。)ので、弁護人としては、当然一審段階からこの点を主張すべきであったと思われるが、捜査段階においてはもとより、一審段階においても、被告人は、老齢の父Aが一応起訴猶予処分になっているとはいえ、更に改めて起訴されることを極度に恐れるの余り、その点について特に積極的に主張・立証し、Aを証人として申請することに消極的態度をとり続けたことと、本件における弁護活動の主眼が被告人に対する懲役刑の執行猶予の判決を求めることにあるところ、所得税法二三八条と同法二四四条の法定刑が同一(但し、実際には量刑の差はあるべきものと思われる。)であることなどを考慮して、弁護人において、この点の主張を差し控えたのであった。

被告人の控訴により、本件審理の舞台は控訴審であるF高等裁判所に移ったが、控訴審の段階においては、一審において被告人に対し懲役刑の実刑判決の言渡がなされたため、Aにおいて自ら積極的に証人として出廷することを希望し、Aは証人として、本件逋脱当時はもとより、現在においても、AがX・Y両店ともに事業を統括しており、本件所得税の逋脱についても当時これを知悉容認していた旨及び被告人は実質的にたいしたこともしていないのにAの身代りとなって懲役刑の実刑判決の言渡を受けたのであって、Aは現在では被告人の言いなりになって、大蔵事務官に対してはもとより、検察官に対しても、本件逋脱のことは全く知らなかった

と虚偽の供述をして、被告人に自分の罪を背負わせたことを痛切に反省し、悲嘆にくれている旨の証言をし、弁護人においても、Aの証言及びこれと同旨の被告人の供述と相挨って、X・Y両店は実質的にはAを頂点とする被告人とB・C・D・Eらを含むファミリーの経営するところで、現在においても、日常の一般業務は一切Oに委せられているとはいえ、その事業の統括者はAであること、被告人のX・Y両店の経営に対する関与度はAの補佐的役割程度に過ぎず、また、本件逋脱についての関与度も低いこと、その他一審で主張した情状に併せて、被告人が一審の判決言渡後Y店の経営からも一切手をひいたこと並びにAや被告人をはじめファミリーの人々から合計二億円を寄付し、これを基金として財団法人W育英会が設立されたことなどを更に主張(なお、X店関係の逋脱の事実につき被告人に所得税法二四四条を適用すべきでない旨の主張は、控訴趣意書中の量刑不当の事情として付記するにとどめた。)して、一審判決を破棄したうえ、懲役刑について執行猶予を付する旨の判決を求めたが、控訴審は、Aが昭和五一年八月ころ老人性痴呆症等に罹患したため、被告人がAに代ってX・Y両店の経営に関与するようになり、右両店の事業を統括し、その各所得税の逋脱行為を差配したものと認定して、控訴棄却の判決を言渡したのである。

わたくしは、この事件処理をとおして、今更の如く、わが国の刑事裁判における捜査段階に作成された供述調書等重視の現実をまざまざとみせつけられたのである。

なるほど、本件は任意捜査事件であるから、被告人をはじめ関係者はその供述時において何ら身柄の拘束を受けていたわけではない。しかも、前述の如く弁護人もこれらの供述調書を証拠とすることに同意しているのであるから、形式的に言えば、裁判官がこれを全面的に信用することはもとより違法ではない。しかし、よくよく検討すれば、被告人の供述があれこれ変遷しているとはいえ、捜査段階における供述は重要な点において虚偽があり、また、一審段階においても、被告人は、Aが起訴されることを恐れて弁護人にも真実を告げなかった面があるとともに、捜査段階における供述を急激に変更しては裁判官の心証を悪くするのではないかとの恐怖心を持ち、したがって、その供述内容は必ずしも真実を全面的に吐露したものとは言い難く、結局はAの前記切々たる証言と併せ考えても、被告人が控訴審で供述したところが実情に最もかなうように思われるのである。被告人が捜査段階において虚偽の供述をしたり、A・B・Oらをして虚偽の供述をなさしめたことにも、老齢の父Aを刑事被告人としたくないという娘として至極尤もな理由があるのである。また、本件所得税法違反事件が摘発された際、被告人は、質問てん末書を作成した大蔵事務官から「貴女は体が弱いから懲役には行かないで、罰金をたくさん納めれば済むようにはからいます。」と言われて、「金ですむことならば」と安心し、捜査官に対しては、自分がすべての最高責任者であり、本件脱税行為についても実質的にすべてを差配したように虚偽の供述をしたと言うのである。また、大蔵事務官、被告人らに対し、屡々「そこは何某さんの供述とあわないから、関係の方々と相談して下さい。」とも言ったので、その都度被告人らの方で家族や関係者と会議を開いたうえ、対策を協議し、その結果に従って供述をしたと言うのである。そして、X・Y両店関係の売上一部除外による所得税の逋脱は、いずれも右各店の開店当時から被告人の意思にかかわりなくなされてきたことは明白なところであるにもかかわらず、被告人の検察官に対する供述調書中には、「このような売上の一部を除外して簿外とすることは私が考えて云々」とあたかも本件所得税逋脱が被告人の創意によって案出されたかの如き全く検察官の作文としか思われないような供述記載部分(捜査段階の供述調書の内容は、必ずしも供述者の供述内容をそのまま記載したものではなく、その殆どが、供述者の供述-それもときとして捜査官の誘導によってひき出された供述-の趣旨を捜査官において要約したものが記載されたものであるから、その要約の過程で捜査官の主観が混入することがあり、また、この被告人の検察官に対する供述調書におけるように、供述者の供述の趣旨を逸脱して、捜査官の作文よって供述者の供述内容と全く違った内容が、あたかも供述者の供述そのもののように記載されることもあり得るのであって、これらの点は、その信用性の吟味にあたって特に注意を要するところであろう。)や、本件所得税の逋脱の事実をAは全く知らなかったとの供述記載部分等各所に不自然としか思われないような供述記載部分があり、弁護人としても、これらの点を指摘すれば、裁判官がよもやこれらの供述調書をそのまま信用することはないものと判断したのであったが、このように判断したことが誤りであったのであろうか。

結果的には、控訴審の経験豊かな練達の裁判官も、捜査段階におけるこれらの供述調書等を全面的に信用して、被告人やAの公判廷における供述には一顧だも与えなかったのみでなく、被告人が、捜査段階において、Aが昭和五一年八月当時健康を害してややうつ状態にあったので、Aは昭和五一年ころ老人ボケしていたと供述した(実際にはAが老人ボケしていたわけではなかったが、被告人は、Aがうつ状態にあると言えば、Aが精神病に罹患しているように思われ、それが本人に伝わって本人の病状が悪くなることをおもんばかって、そのように供述したに過ぎない。)ためか、あるいは老人ボケと老人性痴呆症とを同一視したためか、こともあろうに、控訴審の法廷において前記のように切々たる証言をしたAが、これより一〇年以上も前に、現在の医学上では不治の病とされている老人性痴呆症に罹患したとさえ認定したのである。このような認定が果たして是認されるべきものであろうか。そして、この認定は、控訴審が被告人の責任を重く認定したことと無関係とは思われないだけに、この事件の適正処理のためは、Aが老人性痴呆症に罹患していたものかどうかは是非とも再検討されるものと思料する。

思うに、本件については、X店関係の逋脱について、被告人に対し、所得税法二四四条の行為者責任を追及した検察官の起訴そのものに先ず第一の問題点があったのである。検察官も、捜査段階においてAの取調べをしており、また、X・Y両店関係の所得税の逋脱は、それぞれの開店当初から引き続いてなされていることから、Aが本件所得税逋脱の事実を知悉容認していたことは、その供述の如何にかかわりなく、十分承知できたはずである。そして、この種の税法事件処理に通じた者ならば、誰の目からみても、本件は、X店関係についてはAを、Y店関係については被告人をそれぞれ所得税法二三八条違反として起訴するのが正しかったのであり、また、それが通常の起訴のやり方である。そうすれば、よもや、被告人がX・Y両店関係ともにその所得税逋脱の最高責任者と認定されて、懲役刑の実刑判決の言渡を受けることはなかったはずである。検察官にも、Aを起訴すれば、Aが余りにも高齢であり、当時たまたま健康を害していたので、訴訟追行上諸種の困難が伴うなど種々の配慮があり、おそらくはこの配慮にひきずられて本件のような起訴方針をとったのではないかと思われないでもないが、いずれにしても結果的には、検察官が起訴を誤ったために、それがAを起訴から免れしめたいと念願した被告人の思惑どおりであったとしても、被告人に対して過酷としか言いようのない重罰を科することになったと言うことができないであろうか。

次に、本件についての問題点として、被告人はじめ関係者の供述が捜査段階一・二審段階と順次変遷していることを挙げなければならないであろう。

一般的に言って、変遷した供述ほど裁判官を悩ますものはない。このような供述者に対し、裁判官が不信と不快の念を懐くことはやむを得ないところであるかも知れない。それが身柄不拘束の状態でなされた場合にはなおさらである。そして、本件もまさにその適例といえるであろう。しかし、よくよく考えれば、誰にでも思い違いはあるであろうし、また、人それぞれにその時と場合とによっては真実を述べることができない事情もあり得るであろう。特に、身柄不拘束の場合には、危難に如何に対処すべきかについて関係者の協議が行われ、その協議の線に沿って供述がなされることは十分に考えられるところであるから、身柄拘束の場合よりも真実に反する供述がなされる可能性が大きいとも言えないことはないのである。いずれにしても、捜査段階において真実が供述されるものとは限らないのであって、公判段階に至って、捜査段階における不実の供述を是正する供述がなされることがないとは断定し得ないのである。

このように考えると、かりに、被告人の供述に変遷があったとしても、裁判官は、常に全体的視野に立って全証拠を検討して、その供述のどこに真実が包蔵されているかを冷静に探究しなければならないであろう。事案全体のなかにおいて、供述の変遷の合理性について思いめぐらし、供述の変遷に合理性があり、後の供述中にも真実部分があると認めることができれば、その真実を見失ってはならないであろう。間違っても、最初の供述においてこそすべて真実が語られ、その後の供述は、単にいいわけのために考案された虚偽のものに過ぎないと速断してはならないと思われる。

本件においても、被告人が捜査段階に虚偽の供述をした理由として述べるところはもとより合理性がないとは言い得ないのではなかろうか。そうだとすれば、X・Y両店の創設以来の経営状態とその所得税逋脱の実情、Aの事業経営能力(被告人は、一審段階ではAを弁護人に会わせることすらも極力回避し、弁護人は控訴審段階で初めてAと接触することができ、いまだに持続されているその事業経営能力に驚嘆した次第である。特に本件においては、Aは昭和五一年八月ころから健康を害していたが、昭和五四年ころにはその健康状態は殆ど回復し、同年には地域の青色申告会長に就任し、会合に出席してあいさつを述べたりしており、そのころから再び健康を害した昭和五九年ころまでは、Oを監督してX・Y両店の経営上の重大事項を自ら裁断していることが注目されなければならないと思われる。控訴審はAの証言によって彼のその能力を感知することができなかったであろうか。)、被告人の健康状態とその日常の生活態度、ファミリーの特殊性等を全体的に考察して、右被告人がX・Y両店の事業をAに代って統括し、本件所得税の逋脱を差配したと認定することに疑問を感じ、被告人の公判段階の供述に耳を傾けて、事件の筋を看取することはできなかったであろうか。

更に、特に控訴審としては、控訴趣意書において、量刑不当の事情としてではあるが、被告人のX店関係の逋脱の事実について所得税法二四四条を適用することの不可なることについては、一応問題提起がなされたのであるから、たとえ、弁護人においてこの点は法令適用の誤りないしは事実誤認の趣旨で主張するものではないと陳述したとしても、当然にその事実上・法律上の問題点を検討し、検察官に対し訴因及び罰条の変更を勧告するなどの措置を採るべきではなかったろうか。-もっとも、このような訴因及び罰条の変更がなされると、X店関係の逋脱の事実につき、被告人をAの所得税法二三八条違反の犯行の共犯者として起訴するのと同一の結果となることが予想されるから、右事実につきAを不起訴処分にしたこととこのような起訴は通常なされていないこととを考えあわせれば、まさしく被告人をAの身代りとして起訴することになって、許されないのではないかとの問題を生ずる。-もし、訴因及び罰条の変更がなされないとすれは、X店関係の逋脱の事実については、被告人は無罪とすべきものと考える。

しかし、本件の処理については、弁護人にも多くの反省点があることを率直に認めなければならない。三人の弁護人のうち、主任弁護人を除く二人の弁護人は、いずれも起訴後に選任された者であるが、主任弁護人は、起訴前(但し、大蔵事務官や検察官の被告人その他の関係人の取調べ終了後)に選任され、しかも、その選任の主目的がAを起訴から免れしむるにあったと思われるのであり、たまたま、当時Aの健康状態も悪かったところから、捜査段階の被告人や関係人の供述調書どおりに、本件所得税の逋脱当時は、Aの老衰に伴い、Oが実務を担当し、被告人が事業を統括する形をとっていたものと誤信し、その趣旨に副って検察官に働きかけたと思われないでもないうえに、起訴後における本件訴訟追行の主目的は被告人に対する懲役刑について執行猶予の判決を求めるにあったところから、厳格な事実上・法律上の争点をつくることをできるだけ避ける方針を採ったために、そして、それがまた被告人の希望するところでもあったために、被告人に対するX店関係の逋脱の公訴事実に対しても、その起訴の不当性を論難することはもとより、その事実上・法律上の問題点を鋭く攻撃することを回避し、また、前記のように、捜査段階における被告人や関係者の供述調書等を、単にその信用すべからざる点を若干指摘したのみで、すべて証拠とすることに同意したのである。しかも、被告人らが公判段階で右供述調書等の内容と異なる供述をした以上には右供述調書等の内容の虚偽性の立証を尽くさなかったのである。このような弁護人としての訴訟追行の方法は、刑事裁判における実体的真実追及の理念に反するのみでなく、結果的に被告人の利益に反したのではないかと痛切に反省せざるを得ないのである。

本件は、X店関係の逋脱について前記のような事実認定上及び法律適用上の問題があるとはいえ、被告人・弁護人において全体として有罪・無罪を争うものではなく、所詮は、裁判所に寛大な処分をお願いするという意味で量刑を争うものであり、したがって、本件において弁護人が主として問題とした事実認定も本来は犯罪の構成要件事実それ自体についてのものではなく、いわば量刑の事情としての事実についての認定ではあったが、量刑の適性を期するためには、諸種の因子をどのように評価するかという問題もあるとはいえ、先ずその基礎となる事実の正確な認定が如何に重要であるかを示す点でも、いろいろと教えられるものを含んでいると思われる。

いずれにしても、被告人にとっては生命にもかかわりかねない重大事である。もし、控訴審において、被告人やAが供述したところが真実であるとするならば、それでも被告人の本件犯行は懲役刑の実刑に値するであろうか。もし、その場合には懲役刑の実刑は酷に失するというのであれば、被告人が捜査段階において虚偽の供述をし、また、関係者をして虚偽の供述をさせたので、Aの身代りとなって懲役刑の実刑に服することも致し方ないではすまされない。あるいは、被告人のファミリーによってながい間にわたって多額の所得税の逋脱がなされてきたにもかかわらず、ファミリーのなかから一人も懲役刑の実刑に服する者がいないのでは国民を納得させることができないと言う人もあるかも知れない。しかし、かかる譲論も刑罰個人責任主義の原則を踏みにじるものであって、到底採用に価するものではないであろう。

思うに、本件において、検察官の起訴が公正であったとすれば、被告人はY店関係の三億五、〇〇〇万円余の逋脱についてのみ審判をうければよかったし、Aの処罰はやむを得ないとしても、Bは処罰を受けることはなかったものと思われるのである。かりに、被告人にX店関係の五億九、〇〇〇万円余の逋脱についての責任があるとしても、それはAの逋脱の犯行の共犯としての責任のみであることは明らかであるが、通常このような起訴はなされていないのである。そして、X・Y両店関係の脱税の基本路線が、被告人の意思にかかわりなく、A・D・Oによって敷かれたものであり、被告人はただOの進言に従ってファミリーと協議のうえでその路線の継続をやむなく容認していたに過ぎないこと、Aももとより本件脱税を知悉容認していたことは十分に認定し得るところであるから、これらの事実関係のみからみても、近時高額の脱税事犯に対し、厳罰主義が採用されているとはいえ、公正を欠く起訴に引きずられ、単にX・Y両店関係の逋脱額の合計が九億円を超えることのみに目を奪われて、被告人を懲役刑の実刑に処すべきものとした一・二審判決の量刑の妥当性については、どうしても疑問を払拭し難いものがあるのである。

いま、この事件は上告中である。その上告理由の主要点が、X店関係の逋脱事実に関する事実誤認及び法令違反の点並びに量刑不当であるだけに、上告審の判断は、上告審の在り方とも関連するかと思われるが、わたくしは、最高裁判所の判断を得たうえで、この上告審の在り方をも含めて、わが国の刑事裁判を考えるよすがとしたいと思うのである。

四 おわりに

前記のように、平野先生は、「現行刑事訴訟の診断」のなかで、「このような訴訟から脱却する道は、恐らく参審か陪審でも採用しない限りないかも知れない。」と述べられている。

わが国の裁判に一般国民の参与をどのような形で認めるべきかは、まさにわが国の将来の司法制度を考えるうえでの重大問題であり、いずれはこれを是認する方向で解決されるべき問題かと思われるが、近々わが国において陪審制度が復活したり、参審制度が採用される見込があるとは思われない。

そうだとすれば、わが国の刑事訴訟は如何なる方法によって改善されるべきものであろうか。刑事訴訟法の改正もその一方法であることはいうまでもないが、これとてももとより容易なことではない。また、裁判官の公選制度も考えられないわけではないが、特にこの制度には弊害も十分考えられ、わが国においてこの制度の実現は更に困難と思われる。

してみれば、さし当って現実に事件の最終判断者であるキャリア裁判官の修練に期待するよりほかはないことになるのであろうか。

わたくしは、ここで、いま一度法曹一元の真の意味に思いを及ぼさざるを得ない。

周知のように、法曹一元という用語は必ずしも一義的ではないが、英国や米国においては、裁判というものは、社会の実相について十分な知識を有する者にして始めて行ない得るものであるとの考え方から、はやくから裁判官は弁護士としての豊富な経験を有する者のなかから選任されるという形で、法曹一元制度が採用されているところである。

わが国においても、法曹一元制度採用の必要性は、既に大正年間に提唱され、昭和一三年二月に議員提出法律案として、判事はすべて弁護士として実務に従事した者から任用することを内容とする裁判所構成法改正法律案が、当時の第七三帝国議会に提出され、衆議院において可決されたが、貴族院において審議未了となった歴史を有する。そして、戦後の一時期は、在野法曹からの裁判官の登用(但し、最高裁判所判事・高等裁判所長官・地方裁判所長又は家庭裁判所長への登用が目立ち、当時でも下級裁判所での実務に携わる裁判官への登用は一般的ではなく、しかも、その登用が極めて少なかった原因の一つが、既に築いた地盤を放棄してまでも、数年毎の転勤をも覚悟して、不慣れで苦労の多い実務相当の裁判官になるような適任の弁護士を得ることが困難であったことを挙げなければならないと思われる。そして、今後は、弁護士会こそが法曹の母体であるべきであるとの考え方に立って、困難なこととは思われるが、多数の有為な弁護士が進んで下級裁判所での実務に携わる裁判官へ登用される気風が醸成されるか否かが、そのための諸制度の改革の成否とともに、将来わが国における法曹一元制度充実の重要な一つの鍵となるように思われる。)が試みられ、臨時司法制度調査会においても、かなり法曹一元制度の採用について論議がなされたもののようではあったが、現在においては、最高裁判所判事の一定数を弁護士から登用していることと法曹の養成期に司法修習生としての一元的な教育がなされているところに、わが国の法曹一元の主な意義を見出すというのが実情ではあるまいか。

裁判官が検察官の主張・立証に耳を傾けるのはもとより大切なことであるが、これと同じように被告人や弁護人の声にも十分耳を傾けなければならないことは、キャリア裁判官と雖も心しているはずである。問題は、キァリア裁判官が被告人の立場を真に理解するために、どのような資質を有するかはともかくとして、どのような経験を有するかということである。わたくしは、弁護士として、裁かれる国民の側に立って、その人達の権利を守る仕事を通じて得たものは、常に裁く立場にいた者には思い及ばなかった極めて貴重なものがあることを、裁判官を定年退官後の僅かばかりの弁護士としての経験によって痛感させられたのであるが、残念なことには、下級裁判所の裁判官で弁護士の実務経験を有する者は極めて少数であるのが現状であり、近い将来においても、そのような経歴の裁判官が多数輩出することは期待できないであろう。

そうだとすれば、キャリア裁判官は、自らその足らざるところに謙虚に思いを致して、個々の裁判に当っては、いやしくも官権的な一面的思考におちいることなく、検察官の立場のみからではなく、被告人の立場からも十二分に考慮をめぐらして、いわば、ああも考え、こうも考え、全体的視野のなかで真実を探究する努力を怠ってはならないと思われる。

キャリア裁判官による裁判は、技術性、形式論理性、法的安定性において優れているといわている。なる程そうかも知れないが、事案の内容は千態万様であって、一つとして全く同じというものはない。そして、被告人にとっては、多くの場合一生の大事であり、彼らは具体的事案に即して適正妥当な裁判をこそ希求しているのである。技術性とか形式論理性とか法的安定性ももとより大切ではあるが、それにも数倍まして、特に刑事裁判においては、有罪、無罪についての適正な判定はもとよりのこと、量刑の分野においても、被告人の人物、性行等をよく見定めたうえで、条理と恩威を兼ね備え、血も涙もある(もとより、被告人の言い分をそのまま認容する趣旨ではない。)、いわば、活かすべきは活かし、懲らすべきは懲らすような、具体的に適正妥当できめの細かい量刑、すなわち生きた裁判がなされることが肝要ではなかろうか。そして、そのためにも、裁判官が被告人に直接に接する法廷での審理こそが重要ではなかろうか。

わたくしは、裁判官の送別会等で「幾多の難事件を快刀乱麻の如く処理された」との賛辞をしばしば耳にしたが、このような賛辞は、もとより儀礼的になされたものとはいえ、如何なる意味においても到底適切なものとは思われないのである。事実認定といわず、量刑の面においても、刑事裁判は苦悩にみちた難行である。かつて、元大審院部長判事であった宇野要三郎氏は、「呪われた法服時代」という文章のなかで、「人が人を裁くことは恐ろしく、そして飽くまでも割り切れぬ感情のみが残る。」と述懐されたということであるが、まさにその感を深くするのである。

わが国の検察官の起訴は、十分な証拠固めをしたうえで確信をもったときに初めてなされると言われている。欧米諸国のそれに比べて、嫌疑を確かめる点における精密度が高いのかも知れないし、そのことが、わが国の刑事裁判において有罪率の異常な高さの原因の一つとなっているのかも知れないが、検察官の起訴においても、誤りなきを期し難いことはもとより当然のことであろう。また、弁護人の訴訟追行も、主として被告人の利益擁護を志向するが故に、適正な裁判を求める意味では決して万全ではない。被告人も証人も常に真実を語ってくれるものとは限らないのである。適正な刑事裁判の実現のためには、検察官、弁護人その他の訴訟関係者の協力が必要であるが、真の意味においてこれを得ることは容易なことではない。それでも、刑事裁判官は、事実認定、法律の適用、量刑のそれぞれの適正を期すべく苦悩しなければならないのである。

したがって、刑事裁判官は、いやしくも検察官の起訴はおおむね正しいなどと安易な予断を懐いてはならないであろう。また、たとえ、被告人の自白があったとしても、その自白には客観的な裏付けがあるか否か、その自白のなかには秘密の暴露に当るものがあるか否かなどの点について慎重な吟味をしたうえで、もし、その自白が撤回されたとすれば、その自白の撤回に合理的理由があるか否か、自白とその撤回後の供述のいずれに真実性があるかなどを、全証拠に照らし、全体的視野に立って考慮をめぐらしたうえで、判断しなければならないと思われる。その他の証拠についても、その証拠価値等の判定に困難が伴うことはいうまでもない。また、法令の解釈適用の点についても、事案によっては、刑法一七五条にいう猥褻文書にあたるか否かの論議がなされた最高裁判所判決(昭和三二年三月一三日及び昭和四四年一〇月一五日それぞれ言渡の各大法廷判決)の例を引くまでもなく、いろいろの立場や考え方があり得るのであって、その適正さを期することは容易な術ではない。しかも、刑事裁判官は、裁判における迅速性の要請(憲法三七条参照)からいっても、ある程度の限られた期間内に補充的に職権による証拠調べの方法があるとはいえ、原則的には当事者から提出された限られた資料によって判断しなければならないのである。適正迅速な刑事裁判を実現せしめることは、如何なる制度を採用するとしても、まことに至難と言うのほかはない。

神が裁くものでない以上、あるいは誤判は免れないのかも知れない。問題は如何にしてできるだけ誤判を少なくするかということであろう。そこで、絶対に忘れられてはならないことは、刑事裁判においては、「疑わしきは被告人の利益に」との法諺に従い、すくなくとも被告人に不利益に判断を誤って無実の者を有罪と認定するようなことがあってはならないということである。まさに、刑事裁判は、究極的には社会の治安維持よりは被告人の人権擁護を優先させるべきものであり、間違っても、被告人を「疑わしきは罰する」ということであってはならないということである。そして、前記法諺こそは、適正な裁判実現のために全力を尽した刑事裁判官のための救いでもあるのではなかろうか。(昭和六二年一一月二七日脱稿)

久留米大学法学部教授

山本茂

○上告趣意補充書(四)

昭和六二年(あ)第六五〇号

被告人 渡邊千鶴子

右被告人に対する所得税法違反被告事件について、左記のとおり上告の趣意を補充する。

昭和六三年二月二四日

右主任弁護人 加藤石則

最高裁判所第一小法廷 御中

一 本件において、被告人の父渡邊健太郎の所得に関する日の丸商事分の所得税逋脱につき、国税局の告発、検察官の訴追、第一審及び第二審の認定のいづれもが、健太郎には逋脱行為がなく、被告人及び妹渡邊千恵子が健太郎に代って逋脱行為を行ったとして、両名に所得税法第二四四条を適用して責任を問う構成をとられているが、これは、基本的には、被告人、千恵子、健太郎及び大森隆心らの大蔵事務官に対する供述に基づいて、国税局において決定され、その告発に従って検察官が訴追をし、これを第一審及び原審が認容したという図式になっている。

ところが、日の丸商事及び藤田商事は健太郎及び被告人の個人経営というよりも、実質的には健太郎を頂点とする渡邊家一族によって経営され、それを包括的な権限を与えられた大森が補佐して業務全般を掌理していた上、売上除外は被告人が経営に関与する以前から、経理の最高責任者である渡邊俊雄を中心にして行われていて、被告人は従前の路線を踏襲して逋脱が行われるのに家族の一員として関与していたに過ぎないのであるから、本件の事実構成、法令の適用及び情状は、逋脱の直接担当者が俊雄から大森への交替した時期とその経緯がどうであったか並びに昭和五一年六月以降の健太郎の健康状態及び同人と被告人の日の丸商事の事業への関与の程度によって、左右されることになると思料する。

ところが、これらの諸点について、被告人は老齢の健太郎をかばって責任を被告人が一身で背負うこととし、捜査段階のみならず、第一審の公判においても、真実を述べず、被告人が病気の健太郎に代って全てを取り仕切ったと述べ、健太郎や千恵子らもこれに副う供述をしたので、それに基づいて事案の内容が決定され、法的に構成されるとともに情状評価がなされたものである。

そこで、被告人らの捜査、公判における供述について、個別に検討し、供述の一部が真実に反したものであり、日の丸商事は起訴対象年度においても、健太郎が差配し、同人の責任において逋脱が行われたものであることを明らかにしたい。

二 大森隆心の供述について

1. 先ず昭和六〇年一月二九日付質問てん末書の大蔵事務官の発問の記載によると、大森は昭和五九年九月二六日(査察開始の日)、査察官から渡邊健太郎の昭和五六年分から昭和五八年分の所得税確定申告は正しいものかと質問されたのに対し、「同業者と比較しておかしくないと思っていた。」(記録一九七丁の四一二)、「……社長(渡邊健太郎の意)がごまかすということが信じられません。千恵子さんの細工によりなされたのではないかと思われてなりません。」と述べた旨記載されている(同丁の四一三、但し昭和五九年九月二六日付質問てん末書は証拠としては提出されていない。)。

これは査察開始日の供述であって、従業員としての大森の立場上、売上除外がなされていたと述べるわけにも行かず、一応は否認したものの、逋脱した裏金は発覚していると追及され、三〇余年にわたって仕えて多大の恩義があり、しかも健康を害している健太郎を罪に落とすこともできない立場の大森が、やむなく売上除外の実行行為をなしている千恵子の名前を出したものであると思われる。

このことは、その後に作成された質問てん末書の供述記載に表れるように、被告人が日の丸商事を健太郎に代って取り仕切り、売上除外についても被告人が差配していたことにしようという協議もしくは被告人の依頼がなされていなかったことを示すと共に、一面では日の丸商事分の逋脱の最高責任者が被告人であるとの認識を大森が持っていなかったことの証左であると言えると思われるのである。

2. ところが、査察開始から約三か月後に作成された大森の昭和六〇年一月二九日付質問てん末書には、「渡邊健太郎はもともとパチンコ営業について以前から全くといってよい程タッチしていません。同人は老齢のため千鶴子に営業を任せているようです。私は渡邊健太郎の代りをしている千鶴子にすべて報告したり、その指示を受けるようにしていました。それで、私は渡邊健太郎氏に直接営業上の指示を受けたり報告したりしたことは少なくとも同五一年ごろ以降全くありませんでした。」との供述記載がある。

これは、右の三か月間の推移により、昭和五一年以降は、被告人が健太郎に代って日の丸商事を取り仕切っていたことにし、同商事分の逋脱についても、被告人が責任をかぶることで査察に対処しようという方針が被告人から従業員にも伝えられた結果によるものである。

しかし、昭和五一年以降は健太郎に営業上の報告をしたり指示をうけたことは全くなかったとの大森の右供述は、同人の検察官調書とも矛盾し、明らかに事実に反しているのである。

3. また、大森は、昭和五五年以前の売上除外のいきさつやその方法について、次のように述べている。

日の丸商事の経理関係の基本的事項は、開業以来健太郎の弟で経理のベテランである渡邊俊雄が行い、大森はその補助的な業務を担当していたが、同五一年になって俊雄自身の事業や市議会議員の仕事が忙しくなって、日の丸商事へ来られなくなったので、同年の盆ごろから私が任されるようになった。「何もかもまかせる」と被告人から言われたが、何時どこであったか思い出せない。

それで、今まで俊雄がやってきた「つまみ申告」では数か月も遡って帳簿を書き改めねばならず、不自然な結果になると思っていたので、毎日の売上げを一定率で抜くことにし、検討の結果、日の丸商事の太陽系パチンコ店は一〇パーセント、藤田商事のハワイ系パチンコ店は五パーセント毎日の売上から除外することに決めた。このことは、被告人に事後報告の形で報告したと記憶しているが、何処で報告したか覚えていない(同質問てん末書、一九七丁の四〇五~七)。

大森の検察官調書にも、ほぼ同旨の供述記載がなされている(昭和六〇年九月三日付検察官調書、一九七丁の五〇二~五)。

右の供述記載は、売上除外による過少申告を含む経理事務を大森が俊雄から引き継いだ時期及びそれに伴う売上除外方法の変更に被告人が関与していたとする点において、事実に反している。

4. 右の交替時期は、第一審の第二回公判において、大森が証人として「五一年の三月です。」と証言しているように、この時期に昭和五〇年分の確定申告を終えた段階で、市会議員等の職務が忙しくなって日の丸商事、藤田商事の経理を直接取り扱えなくなった俊雄から大森が引き継ぐことになったものである。

そして、この交替に際して、大森はそれまで俊雄がやっていたように申告時に適宜な金額を決めていわゆる「つまみ申告」をなし、遡って帳簿を修正するというやり方では、事務が煩瑣であるばかりでなく不自然な結果になるので、健太郎と俊雄に対して毎日同じ比率で除外する方法を進言し、俊雄は難色を示したが、健太郎が承諾したので、その方法に変更することになったのである(第一審第二回公判調書中の大森の証人尋問調書、一九八丁の七~八)。

一方、健太郎がメキシコ旅行から帰って来たのは、昭和五一年六月ころであり、健康を害した健太郎の事業経営を被告人が補助するようになったのは同年八月ころである(同調書一九八丁の九など)。

5. 大森の右証言は、健太郎をかばうために、同人が健康を害したので、昭和五一年八月ころから日の丸商事の経営を被告人が健太郎に代って統括したという事実に反する主張を続けながら(それが事実に反することを弁護人も認識していない段階において)、俊雄から大森への交替は同年三月であり、健太郎が健康を害したため、被告人が事業に関与するようになったのは、同年八月ころであって、約半年のずれがあることを明らかにしたものであり(同調書、一九八丁の九末尾から一〇)、申告納税事務の担当者が交替する場合には、確定申告が終った段階で、次の年度分から交替するのが極めて自然で合理的であり、その信用性に疑いをはさむ余地はないものと思料する。

大森の大蔵事務官に対する供述は、八年以上も過去の事柄であるため、その時期の記憶が定かでなかった上に、すべてを被告人が健太郎に代って差配して取り仕切り、交替に際して大森に売上除外を維持するよう指示したと説明しようとしていたことから事実に反する結果となったものである。

6. ところで、俊雄から大森への経理担当責任者の変更が昭和五一年三月に行われたとするならば、右交替に際して、大森が被告人から「何もかもまかせる」と言われたとか、売上げから毎日一定率を除外する方針を定めて、これを被告人に事後報告したとの大森の大蔵事務官に対する前記供述は、明らかに事実に反することになる。

この段階では、健太郎は、これから海外旅行に出かけようという程に健康で、直接に事業全体を差配していたことは明らかであり、また、その段階では渡邊家で健太郎に次ぐナンバー・ツーで経理を直接掌理しており、その後も近くに住んでいて出入りを続けていた俊雄及び健太郎の両名に報告、協議するのが道理であって、昭和五一年三月の段階では、被告人が大森に対して売上除外の継続を指示し、その方法の変更について報告を受ける立場にはなかったのである。

また、売上除外を日々一定率にするよう変更することは、経営者の利害に重大な影響をもたらす事柄であるから、これを大森が独断で決定し、事後報告ですませるということは、報告の相手が被告人であるか健太郎であるかの問題とは別に、余りにも不合理であって実際にはありえないことである。

このように、不合理な供述がなされたのは、被告人が健太郎に代って一切を取り仕切ったことにしようとして、何事も被告人から指示があり、被告人に報告したことにしたために生じた矛盾によるものである。

その意味でも、大森の公判廷における前記証言は合理的であり、真実を供述したものであることを御理解いただけるものと確信する。

7. なお、大森の前記質問てん末書には、「俊雄氏が来なくなってから奥から連絡される売上げは同様に売上メモによっていましたが、その金額は俊雄氏が来ていたころの金額に比べ目立って多額となっておりましたので、実際の売上げと思いましたが、売上メモを書いていた千恵子か千鶴子に実際の売上であることを確かめたうえ、それをもとに売上除外の操作をしはじめたと記憶します。」との供述記載がある(一九七丁の四〇七)。

しかしながら、このような事実は、実際にはありえないのであって、奥から大森に連絡される売上金額は、昭和五五年末までは一貫して実際の売上総額であり、納税申告の担当者が俊雄から大森に代ったからと言って大森に告知される金額に変更があったわけではない。

また、千恵子が売上げを管理し、売上メモを作成するようになったのは健太郎の妹渡邊トミコが病気になって千恵子と交替した昭和五三年六月ころからであり、また被告人が売上げメモを作成したことは全くないのであるから、大森が右のように売上メモの金額が実際のものか否かを同五一年の段階で千恵子や被告人に確かめることもありえないのである。

このような供述記載がなされたのは、査察を担当した大蔵事務官の事案の実体把握の甘さと質問てん末書もしくは供述調書が様々な理由によって事実から離反する場合があることの一例を示している。

供述調書は、作成者の誘導、供述人の故意又は過失による誤りの供述等の外にも、右のように作成者の誤解によって事実に反する供述記載がなされる場合があり、その場合にも供述者は敢てその正確性に異議を申し立てないで署名するものである。

8. 大森の大蔵事務官に対する質問てん末書には、「健太郎氏は千鶴子にすべてを任せられていますので、(確定申告に関する)説明は……千鶴子にしており、同氏に直接説明したことはありません。」(一九七丁の四二二)とか、「健太郎氏に対しては、ここ数年あいさつ程度のことで仕事のことについては話しておりません。」(一九七丁の四七五)という供述記載があり、昭和五一年八月以降は、健太郎は日の丸商事の事業経営から一切手を引き、被告人にすべてを任せて関与していないと述べているが、これらはいずれも被告人が健太郎をかばって、一切を取り仕切ったことにし、被告人が責任をとるという方針に従った供述であって、事実に反するものであることは、後述するようにこれらの供述記載は、大森の検察官調書と矛盾することからも明らかであると思料する。

9. また、大森の昭和六〇年二月二二日付質問てん末書には、藤田商事の元従業員山本稔から売上データを回収するに際し、被告人とのみ協議して対処した旨の供述記載があり、いかにも被告人が事業の運営を直接差配していたかの如く見られかねないと思料するが、この問題は被告人の経営する藤田商事についての紛議であるばかりでなく、右山本は健太郎とはいとこの間柄にあり、かつてはうつ状態に陥ったことのある健太郎に、このような脅迫被害を詳細に報告するのは適さないと周囲の者が判断して同人に直言することを避けたものであり、被告人はトミコ、マサノ、千恵子らと協議してこれを処理したものであるし、査察の過程では、山本から回収した売上データが真実の売上げを認定する基本的な資料となったので、被告人の質問てん末書でも大きな比重をかけて、それに関する供述が記載されているが、事業経営の根幹に関わる問題ではないのであるから、この問題を被告人が中心となって処理したとしても、被告人が日の丸商事を統括していたか否かとは次元を異にすると思われる。

10.大森の検察官に対する供述調書の内容は、基本的には、大蔵事務官に対する質問てん末書と同様であるが、次の二点について特に論及したい。

(一) 先ず、昭和五一年八月以降における健太郎の事業上の地位について、昭和六〇年八月二八日付大森の検察官調書によると、健太郎は、もともとパチンコ店営業については具体的には余り関与せず俊雄、トミコ及び大森に任せていたし、昭和五一年以降は、「健太郎にはなるべく仕事の話はしないようにするという方針」に従い、日常の業務は大森が被告人に相談して行っていたが「健太郎が日の丸商事の経営者であり、最終的な責任者であることには変わりはなく、私も千鶴子ら家族もその考えに変わりはありませんでしたのでパチンコ店の増築あるいは大きな改装は健太郎にも報告しております。」と供述し(一九七丁の四九二~三)、その例として、昭和五四年一二月のコンピューターの導入及び昭和五八年の隣地の購入と増築について、いづれも被告人から健太郎に報告して承諾を得たと述べている。

また、所得の確定申告に当たっても、健太郎の面前で説明し、トミコから健太郎の印を出して貰って押印していたのである(同丁の四九四、但し、健太郎に代って被告人か千恵子から健太郎の印鑑を貰っていたとの供述記載は、大森の大蔵事務官に対する昭和六〇年一月三一日付質問てん末書の供述記載と矛盾し、事実に反するものである)。

このように、大森の検察官調書には、不十分ながら、昭和五一年以降も依然として健太郎が日の丸商事の最終責任者として、重要な問題については報告を受けて裁断していたことが明らかにされており、健太郎は一切を被告人に任せて事業に関与していなかったとの質問てん末書の供述記載とは矛盾している。

右の検察官調書の供述記載は、健太郎をかばって被告人が責任を取るという基本方針の下でも、検察官から個別的に追及されて健太郎が重要事項を決定していたことを認めざるを得なかったことによるものであって、最少限度の真実であり、その段階では被告人や大森の方針に反する不利益な事実を認める供述であって、信用性があることは明白である。

原審公判廷における被告人の供述及び健太郎の証言によって明らかになったように、重要事項はすべて健太郎に報告し、同人の裁断によって決定されていたのである。

(二) 次に健太郎の健康状態については、同人は昭和五一年夏ころから老人ボケして事業の経営ができなくなったとの被告人の簡単な供述の外には、大森の検察官に対する昭和六〇年八月二六日付供述調書にその状況が記載されているのみである。

大森の右調書によると、「昭和四二年頃と四五年頃の二回、健太郎は胃潰瘍の手術で入院しております。このように病気をした後、健太郎は体力が若干衰えた為か全般的に事業意欲、商売に対する意欲がやや低下してきました。」(一九七丁の四八九)。「ところが昭和五一・二年頃になって健太郎がおこりっぽくなりました。やや神経衰弱的な症状だと思われました。」(同四九八)、「また、昭和五四年頃には、健太郎の怒りっぽくなる症状もよくなり、青色申告会の会長に就任いたしております。」との供述記載があり、これによると昭和五一年六月以降の健太郎の症状は老人ボケではなく、一時的なうつ状態であり、これに前記のように重要事項は健太郎が裁断していた事実を併せ考慮すると、昭和五四年ころには軽快して、その後も事業を統括していた旨の被告人の原審公判廷における供述が裏付けられるものと思料する。

11.ここで、大森の第一審公判における証人尋問調書について、若干の説明を加えると、昭和五六年度分から藤田商事の売上除外率を五パーセントから一〇パーセントに変更したのは、大森及び被告人の質問てん末書及び検察官調書記載のように、被告人から積極的に指示したのではなく、大森からの進言に対して受動的に容認したに過ぎないことは、これまで屡々主張、立証した通りであるが、第二回公判調書中の大森の証人尋問調書には「五五年の五月ころに一〇パーセントにするように検討してくれという指示があり、日の丸商事との均衡上是非一〇パーセントでやってくれということでした。」と証言した旨記載されている(一七八丁の一〇裏)。

しかしながら、弁護人が大森の証人調書を申請した趣旨は、捜査段階の質問てん末書及び供述調書の中で特に事実に反している点を訂正するためであり、確定申告事務を含む経理事務の責任者が俊雄から大森に交替したのが、昭和五一年三月であって、健太郎が病気になるより以前のことであったこと及び前記売上除外率の変更は、大森からの進言によるものであること及び被告人は従来からの逋脱路線が踏襲されることを容認したに過ぎないことを明らかにするためであった。

そこで、大森は第四回公判調書中の同人の証人尋問調書(一九八丁の四六以下)のとおり、被告人から指示されたのではなく、昭和五五年一一月ころ、大森の方から除外率を一〇パーセント増加するよう被告人に進言した旨証言したのであるが、これが前記のような誤った証言記載となったものである。

その理由は、立会書記官において、証言内容を十分に記録できなかったので、同人の質問てん末書又は供述調書を読んで証人尋問調書を作成したために証言内容とは逆に被告人から指示を受けたとする誤りが生じたのではないかと思われるのである。

それにしても、「五五年の五月ころ」除外率変更の検討方を指示されたという「五月ころ」というのは、本件記録中のどこを捜してもそのような記載がなく、大森がそのような誤った証言をする筈がないので、何を根拠に「五月ころ」という文字が調書に書き込まれたのか理解に苦しむところであるとともに、このような誤りをするような証人尋問調書であるからこそ、大森の証言の要旨を実際の証言とは全く逆に記載するような誤謬をおかすことになるのだという論理が成り立つのではないかと思料する。

三 渡邊千恵子の供述について

1. 被告人の妹渡邊千恵子は、本件査察開始の日である昭和五九年九月二六日、大蔵事務官から健太郎宅食堂で取調べを受け、「渡邊健太郎は私の父で当年八二歳の高齢で現在風邪と胃腸病で床について一ケ月位になります。」父は遊戯場、化粧品販売、映画館、青果販売をしているが、「近年は各店の経営を姉渡邊千鶴子に任せ、事務、経理は大森課長がとりしきっています。」姉は病気で療養中であり、「そこで姉は父の事業と自分の事業の状況など床の中から指示している訳です。大森課長も事業の成果などを直接姉に報告しています。」と述べ、更に「父及び姉の税金の申告は正しくありません。実はパチンコの収入の一部を除外しています。昭和五六年頃に……姉から毎日パチンコの収入の一部を除外して表の収入を計上するよう姉の病床で指示されました。」と供述している(千恵子の質問てん末書、一九七丁の一〇八五~六)。

この質問てん末書は、査察開始の日に、被告人とは別個に査察官から犯則けん疑者として質問を受けて供述した結果を記載したものであるのに、千恵子は健太郎がパチンコ店の経営を被告人に任せており、被告人の指示で売上除外を行った旨、別室で取調べを受けた被告人と同旨の供述をなしているのである。

しかしながら、千恵子は当初は容易に売上除外の事実を述べず、長時間にわたって取調べを受ける間に査察官から、被告人が健太郎に代って事業を取り仕切り、売上除外も被告人が指示してやらせたと供述しているかどうかという誘導質問を受け、同じ屋内であるので、被告人と顔を合せた際被告人が売上除外は認めたものの健太郎をかばって被告人の責任で逋脱した旨供述していることを確認してから、被告人の供述に合致した供述をなしたものであるから、千恵子が事前の協議なしに健太郎は逋脱に関与せず、被告人の指示で逋脱が行われたと述べたからと言って、その供述が真実であるわけではない。

2. 次に特記したいこととしては、千恵子は、昭和五三年以降トミコに代って売上金及び裏金で購入した割引債などを管理していたものであるが、健太郎が経営者である日の丸商事分と被告人が経営者である藤田商事分とを明らかに分別することなく保管し、更に叔母渡邊マサノからも現金を預かり、割引債等を購入して保管していたが、これについても預かり証などを発行し、他の資産と区別する方法は全く講じられていないのである(千恵子の昭和六〇年一月二九日付大蔵事務官に対する質問てん末書など)。

このように、生活を共にしている健太郎と被告人名義の事業の利益が一体として保管されるばかりでなく、独立して事業を営んでいるマサノの資金までが、何ら区別することなく一体として保管され、マサノはこれを「ご先祖に返します」(第六回公判調書中の渡邊マサノの被告人供述調書、一九八丁の八八~九)というのであり、家族間においても個人の財産権を強く主張する現代においては極めて異例な程に一族の結束が強固であって、このことからも日の丸商事と藤田商事が実質的には健太郎を頂点とする渡邊一族によって経営され、逋脱も同様に一族によってなされていたものであって、病身で事業経営に関与するところが少なかった被告人に対して日の丸商事分まで含めて重き責任を問うことは当を得ないものであることが御理解いただけると思うものである。

四 被告人の供述について

1. 被告人は査察開始の日である昭和五九年九月二六日付の大蔵事務官に対する質問てん末書において、自己の経営する藤田商事の売上除外を認めた上、健太郎の経営する日の丸商事について、「私は父より運営をまかされていますので、私が経営している藤田商事と全ったく同じ様に、パチンコ店の収入除外を……していますので、正しい申告ではありません。」(一九七丁の九一〇~一)と述べ、全ての事項について、自ら妹千恵子、支配人の大森及び高橋に指示して売上除外をさせ、裏金で購入した債券等及び印鑑も被告人が保管しているし、昭和五六年以降の売上除外率は、自分が千恵子に指示したが、昭和五四年、五五年分については除外率を記憶していない、と供述している(同てん末書一九七丁の九一二~三)。

右供述は、被告人が査察開始の段階から、売上除外の事実は全面的に認めることにしたものの、父健太郎をかばって、藤田商事のみならず、日の丸商事も健太郎に代って運営し、自ら千恵子らを指揮して売上除外を行っていたとして査察に対処する方針を立てたこと、昭和五四年、五五年分の除外率をその段階では知らなかったことを示している。

2. 昭和五九年一〇月二五日付被告人の質問てん末書には、日の丸商事分の売上除外を健太郎に報告しなかったのかという質問に対し、「父が五一年六月に病気(老ボケ)となり、報告しようと考えていましたが、老ボケであり話しをしても分からないと思い、報告しませんでした。」(一九七丁の九二七~八)との供述記載があり、昭和五一年六月からは健太郎が老人ボケして重要事項の報告ができなかったと述べているが、健太郎が老人ボケしていた事実がないばかりでなく、大森について前述したように、被告人が関与していない事項であって、被告人からの報告ということはありえないことである。

3. 更に昭和五九年一二月一三日付質問てん末書によると「私も古い年分のことについてはあまり記憶も判然としなかったので、昨日大森や高橋、妹千恵子を二階の応接室に呼び記憶を呼び起すため話し合いました。」(一九七丁の九四四)と本件査察が関係者に十分な話し合いの機会を与え、むしろそれを慫慂する形で行われたことを示す供述記載があり、更に「昭和五一年盆過ぎころからは、叔父も市議会の方が忙しくなり、経理が出来なくなったので以後私が売上の管理を行うようになりました。それで五一年八月以降は真実の売上を千恵子が太陽系、ハワイ系に分けて記録し、千恵子はその記録を高橋に渡していたのですが、私は昭和五一年盆過ぎ真実の売上の記録を渡す際、大森にこれは真実の売上げですから適当にやってくださいと言いました。

適当にやってくれと言うことは売上除外のことを意味するのですが、そのときは、除外率については指示しませんでした。

私が適当にやってくれと言ったことを受けて大森は……太陽系は一〇パーセント自分で除外し、ハワイ系については高橋に五パーセントの売上除外を指示していたようで、私ははっきり覚えていませんでしたが、その旨大森から私に報告したとのことでした。」(一九七丁の九四四~五)との供述記載がある。

このように、被告人は大森ら関係者と話し合った上で、昭和五一年六月ころに健太郎が極度に老人ボケしたので、同人に代って経営を取り仕切るようになったが、そのころ俊雄から大森への経理責任者の交替も行われ、被告人が大森に対して真実の売上記録を渡すので、適宜除外するように指示したところ、大森において除外率を決め、被告人に事後報告した旨述べているのであるが、これは協議の上での供述であるから当然に大森の前記質問てん末書の供述記載と一致するとともに、同人について論述したと同様に事実に反するものである。

すなわち、俊雄から大森への経理責任者の交替は昭和五一年三月であり、健太郎がメキシコ旅行から帰ったのは同年六月で、その後同人は体調を崩したのである。

また、大森に対して渡される売上メモはその前後を通じて真実のものであり、被告人から大森にメモを渡した事実もない。健太郎が健在で従前に引き続いて売上除外を行うのであるから、被告人が右供述記載のような指示を行う理由がなく、事後報告を受ける理由もないのである。

被告人が全てを取り仕切ったことで、査察に対処するという方針で筋書を作ったため、このような矛盾した結果となったものである。

その余の質問てん末書の供述記載についても、右の基本方針に基づいて、全てにつき被告人が報告を受け、裁断していたことになっているものの、少なくとも重要事項は被告人から健太郎に報告して健太郎が決定していたものである。

4. 被告人は、査察の初日から日の丸・藤田両商事の売上除外それ自体は認めることとし、昭和五六年以降の除外率については、ほぼ正確に説明したが、それでも昭和五四、五五年分は分からないと答え、同五九年分については、藤田商事の除外率が五パーセントであった旨誤った説明をしている(昭和五九年九月二六日付質問てん末書)。

このように、被告人が査察の当初から昭和五六年から同五八年分までの売上除外率を正確に述べることができたのは、被告人が売上除外と裏金の蓄積に強い関心を抱いて千恵子や大森らを指揮していたからではなく、元従業員の山本稔から真実の売上データを示して脅迫されるというトラブルがあり(被告人の昭和五九年一二月一二日付質問てん末書一九七丁の九三八以下など)、これに対処したことなどから、どうにか右の三年間の除外率が説明できたものであり、一方で昭和五四、五五年の除外率を知らず、同五九年の除外率を間違えたのは、被告人の事業経営と逋脱への関与度が低いことを示していると思われる。

5. 右に述べたように、被告人らは査察開始の当初から、売上除外の事実を認め、除外率も明らかになったので、その後の捜査は、除外率の決定とその変更等の理由付けが主体となり、査察官は関係者を個別に取調べて事実を確定するというよりも、被告人らに対しこの点を話し合って説明できるように準備しておくようにと宿題を出しておき、次の取調べまでに被告人ら関係者が話し合って筋書きを決めて取調べに応ずるという形で査察が進められて行ったものである。

その結果、昭和五一年からは、健太郎は一切を被告人に任せて事業に関与せず、被告人が全てを取り仕切ったので、健太郎には何も報告していないという前提に立って、

(一) 昭和五一年段階における除外率の決定は、被告人から全てを任された大森が決めて被告人に事後報告したこと、

(二) 昭和五六年からの藤田商事分の除外率の変更は、被告人が大森に指示して調査、検討させた結果によって、被告人が決めたこと、

(三) 藤田商事分について、昭和五六年から同五八年までの各年八月以降は除外率を五パーセントに減少したのは、被告人が高橋に命じて、昭和五六年度前半の収支を概算させた結果、年度の後半は従業員ボーナスや税金支払いの資金が必要であるため、一〇パーセントの除外率を維持できないと判断して減率を決めたこと、

などの筋書きができ、以後それに副った供述がなされたもので、いづれも客観的に明らかな事実の理由付けをどうするかの問題であるので、査察官としても、追求的な取調べをなさず、やや安易に被告人らの供述を受け入れて、被告人が主体となって、従業員に調査、検討を命じ、その結果を踏まえて被告人が決定したという図式の質問てん末書が作成され、検察官はそれを取りまとめたのであるが、いづれも事実に反するのである。被告人は大森が主体となって従前の路線を踏襲することを容認し、若干の路線の変更もしくは修正については被告人はファミリーに相談してから大森の進言に対応していたに過ぎないのである。

しかしながら、些細に検討すると、昭和五五年終りごろになって、大森に尋ねて初めて除外率を知った被告人が(被告人の検察官調書一九七丁の一〇五五)、いきなり除外率を上げることができないか検討するよう大森に命じたというのはいかにも不自然であることなど、事実に反することから生ずる矛盾が露呈しているのであるから、被告人の公判廷における供述と対比し、捜査段階の供述の信用性を十分に吟味願いたいと考える。

6. その他の事項についても、全て被告人が単独もしくは千恵子と相談して決定した旨記載されているが、渡邊ファミリーの中の発言権は健太郎に次いでマサノ、トミコの両名が被告人より年長であるのみならず、パチンコ店経営の実績からしても被告人より上位であるので、重要事項については、被告人は健太郎のみならず、マサノ、トミコの意見を聞き、その結果を窓口係として大森に伝達していたに過ぎないのであるが、窓口の取次役であるだけに、被告人が報告もしくは協議を受け、自ら決定して大森に伝えたという筋書きを容易に作ることができ、それで一貫して説明をしたものである。

五 健太郎及び被告人の健康状態について。

1. 健太郎は、昭和五一年六月ころ、メキシコ旅行から帰国後、うつ状態に陥り、七楽醇医師の治療を受け、昭和五三、四年ころには軽快した。同医師の診断書は査察官には提出済である。

健康を回復した健太郎は、昭和五四年に青色申告会の会長に就任し、かつ商工会議所の役員を兼ねて公的な活動まで行ったが、昭和五九年ころから再び健康を害して病臥中本件査察を受け、翌六〇年には萩原中央病院に入院した。

同病院の内科医冬野喜郎の診断書に老人性痴呆なる病名があったため、原審は健太郎が昭和五一年段階において老人性痴呆に陥ったものと認定したのであるが、同医師は内科医であり、しかも昭和六〇年当時の状態の診断であるのみならず、現在では強い心因反応による一過性のもので偽痴呆と言うべきであった旨証明しているのである。

健太郎は、最近では夜間頻尿を訴え、産業医科大学病院に通院しているが、八五歳という年齢に比し、日常生活に支障のない程度に健康を保持していることを同病院杉田篤医師が証明している。

2. 被告人は、昭和六二年六月から萩中央病院に入院中であるが、低蛋白血症の状態が続いており、ネフローゼの再燃が懸念される状況にある。

3. 以上の事業を明らかにするため、診断書四通を添付するので御参照願いたい。

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